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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(53)

 席上、初めての運動会であり場所も不案内のため委員で各地区の同胞を宣伝勧誘すること。また各地域の青年会を勧誘して地区対抗競技をプログラムに採用し、広範囲のプログラムと観客を集めるよう工夫することが申し合わされた。

 1973年5月1日午前9時からブラジル沖縄文化センター運動場において、ブラジルの地において沖縄県系人の初めての運動会が開催された。
 沖縄戦の終戦直後から50年代のラジオもテレビもいまだ普及していない文化果てる頃の貧しい時代の運動会が思いだされ、人々は郷愁に浸りながら終日楽しむのであった。

 参加チームと観衆は予想以上で盛会裡に閉会出来て参加者からは賞賛と喜びの声を受けた。

 地区対抗競技の成績は下記の通りだった。

 1位=カショエイラ 男女  74点
 2位=ビラ・カロン 男女  70点
 3位=サン・カエターノ男女 45点
 4位=カンポ・リンポ男女  35点
 5位=アララクワーラ男女  31点
 6位=サント・アンドレー  21点

幻と消えた連合青年会構想

 青年協会は、それ以降も毎年5月1日に沖縄文化センターと共催して家族慰安運動会を開催し続けた。またバレーボール大会や野球大会も開催し、さらに沖縄民謡のど自慢大会も開催したのである。
 単身移民であった青年隊も結婚して家族を形成して30代の中葉に達した隊員が多数となっていたが、県人移民の中の中堅的存在であったし、スポーツ文化や民謡のど自慢大会などの主催を通じて、移民大衆、とりわけ同世代の移民青年たちの親近感や期待感は大きなものがあった。
 宮城信吉、嶺井由則、仲本順一、与那覇朝昭らがその代表格であろう。彼らが青年隊の主催する種々のスポーツ行事に積極的に参与するようになり、活気に満ちた行事だった。

 1974年3月に開催された第2回バレーボール大会は、カーザ・ベルデグループが後援し、選手団もカーザ・ベルデ、サント・アンドレーが2チームとなり、セアーザに新しいチームが生まれた。
 女子選手団も7チームに増加した。そのために時間的にも資金的にも主催者側は嬉しい悲鳴を上げるしまつとなった。
 1974年5月には、文化センター 青年協会共催第2回家族慰安運動会が開催され、野球大会もサンカエターノ、サント・アンドレーグループが支援して積極的に行われた。
 そして同年7月には第2回のど自慢民謡大会が県人会ビラ・エーマ支部後援の下に同支部会館で開催された。
 このように青年隊と新旧県人移民青年たちの交流が盛り上がる中で、1974年8月12日、在伯沖縄協会の中に青年連合会の設置を意図してサンパウロ市近郊青年会代表者会議が県人会サロンにて開催された。
 各地域による青年活動の現況と若者在住者数も報告された。