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千葉県人会が60周年迎え=滝川副知事らが慶祝訪問=『仲良く、楽しく、正しく』

60周年記念ケーキのカット式を行う原島会長、河上会長、滝川副知事(左から)

60周年記念ケーキのカット式を行う原島会長、河上会長、滝川副知事(左から)

 ブラジル千葉県人会(原島義弘会長)による同県人会創立60周年記念式典が8月27日、サンパウロ市ジャバクアラ区の同県人会館で行われた。県人を中心に約100人が参列。母県からは滝川伸輔副知事、河上茂千葉県議会ブラジル友好議員連盟会長、岩田利雄千葉県町村会長、市原武睦沢町長ら9人が慶祝に訪れ、共に喜びを分かちあった。

会場の様子

会場の様子

 午前10時、藤平暉雄副会長の挨拶により開会。先没者の霊に一分間の黙祷が捧げられ、日ブラジル歌の斉唱が行なわれた。来賓紹介の後、原島会長が挨拶に立ち、60年間の歩みを紹介した。
 千葉県出身者が最初にブラジルの土を踏んだのは1920年とされ、会の創設は1957年12月21日。当時、来伯中の八代重信県議会議員(当時)が立会人となり、藤平正義氏が初代会長に。09年には、堂本暁子県知事(当時)の尽力により、「県人念願」の会館が建設された。
 会館が活動の拠点であるだけでなく「県出身移民の心の拠り所」「千葉の名を大きくブラジルに知らしめる宣伝拠点」となったと紹介。サンパウロ市メトロの南玄関口であるジャバクアラ駅から徒歩1分の場所に位置するので、遠隔地に住む日系学生の下宿先としても活用され「日系子弟の教育拠点として大きく貢献している」と述べた。
 今後の県人会活動には二、三世世代の協力が必須であるとし、延べ121人の県費留学研修経験者に対し「選ばれたときの喜びと感謝の気持ちを思い出して」と呼びかけ、活動参加を促した。最後に「会のモットー『仲良く、楽しく、正しく』の下、進んでいく」を宣言し挨拶を終えた。
 滝川副知事は、森田健作知事からの祝辞を代読。「620万県民を代表してお祝いを申し上げます」と述べた後、県人移民の苦労と日伯両国への貢献に思いを馳せ、60年に渡って県とブラジルの架け橋役を担ってきた県人会に対し深い感謝の意を表し、締めくくった。
 河上会長、岩田会長も挨拶を行い、来賓した在聖総領事館、ブラジル日本都道府県人会連合会の代表者らも祝辞を述べ、県と県人会が記念品を贈呈し合った。高齢者表彰では70歳以上の県人27人が貢献を称えられた。森田知事より県連、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会へ寄付金が贈呈された。鈴木喜久夫理事の発声で万歳三唱、立花マウリシオ副会長の閉会の辞で締めくくられた。
 記念祝賀会が催され、60周年記念ケーキのカット式や鏡割りが行なわれた。千葉の銘酒「仁勇」も振舞われ、参列者は晴れの日を楽しんだ。「千葉は本当に良い所よ」と話す馬場富枝さん(二世、77)は娘が県費留学でお世話になったこともあり、「県人会が活動を続けられるよう協力したい」と語り、母県との交流が今後も末永く続くことを願った。

 

■ひとマチ点描■「毎朝、祖国に合掌」に感銘

河上茂千葉県議会議員と立花操さん

河上茂千葉県議会議員と立花操さん

 千葉県議会ブラジル友好議員連盟の会長を務める河上茂県議は、07年の創立50周年式典にも参加し、立花操さん(館山、89)とはその時に出会った。
 立花さんは1933年、5歳で家族と渡伯。プロミッソン植民地に入った。「日本に帰りたがっていた母」の影響から「朝起きたら日本のある東の方角に向かって合掌するのが日課になっていた」という。
 その話を聞いた河上県議は、移民の故郷に対する強い思いに感銘を受け、移民理解を一層深め、県人会館建設運動の際などには、県側での活動に大きく尽力した。
 10年ぶりに再会した二人は互いの健康を喜び、「館山駅には海側にも出口が出来た」「丸太の桟橋が建て替えられた」など地元館山市の変化について歓談し、旧交を温めた。(石)

 

□関連コラム□大耳小耳

 商工会議所のシンポジュームでは、商議所、日伯両政府への提言も発表された。自動車部会は、新技術を搭載した商品を販売するための優遇制度や、自由貿易政策の整備を求めた。化学品部会は、「特許の申請にかかる期間が、日本は2~3年なのに対し、ブラジルは6~8年。日本企業の利点である高い開発力が生かされない」と訴えた。他にも労働者に有利な労働法や、裁判にかかる膨大なコストなどを取り上げ、競争力を高めるための制度作りを強く希望した。なかでも要望が多かったのが、複雑な税制の簡素化。企業を苦しめ、たびたび槍玉に挙がるが、諦めずに声を挙げ続けるしかない?