以上250人の招待客と関係者並びに隊員と家族で1500人が参加し盛大な祝典は午後8時、賑やかな中に仲宗根正憲の閉会の辞で散会。
11 在伯沖縄青年協会
第一回子弟訪日研修旅行
青年隊にとって1971年には1人の代表派遣を催して母県及び親元の産業開発青年協会へ近況報告を行ってきたが、1975年7月には青年隊20周年記念祝賀祭において12名の里帰り代表団を募集して送り出した。
母県の青年隊も5年ごとの節目に祝賀祭典を行っていて、その創立25周年祭には宮平守雄会長が代表として参列した。
県人戦後移民約1万人といわれているが母県の誼を末永く結んでいる団体はほとんどない。
そればかりでなく同航者会や同年生会などもありはするが、結束した組織はコチア青年と南米産業開発青年隊以外別になく、わが沖縄青年隊があるのみだと思う。
従って、移住25周年にもなったこの節目に子弟の将来を考え、ルーツを求め育むと共に親族との親睦・交流を目的にした、「子弟訪日研修旅行」を企画することを提案したら25周年記念事業として相応しいことだと総会で決議決定された。
青年隊移民の導入・受け入れ事業に直接タッチし尽力した屋比久県人会長が自らの旅行社を活用して良いとの返事を頂き、訪日旅行一切を詳細に企画することを依頼した。
幸いにも母県での関係機関を熟知している屋比久氏に案内してもらうことで一層の成果が期待できるなど万事好都合であった。
こうして、ほとんどの子供達が学業半ばのため日程は、長期休暇を利用することになり、7月~8月初旬に組んで、また飛行運賃も長期月賦払いの工夫もあって、30名の希望者が早々に集った。
第一回青年隊子弟訪日研修団
自1982年7月5日(月)
至1982年8月1日(日)の28日間
主催:在伯沖縄青年協会
後援:沖縄産業開発青年協会・
屋比久旅行社
趣旨・目的
月日の経つのは早いものです。吾々青年隊が裸一貫でブラジルに移住して、今年で25周年を迎えることになりました。
その間、各人各様、種々の試練の体験をしつつ、同志的うるわしい相互扶助の精神に支えられながら、懸命に働いて来ました。
お陰で先輩の指導・援助も手伝って、一応生活の安定を見ることが出来たのであります。
単身移住して来た吾々だったのですが、25年間には一家を構成し、只今、4、5名以上の子女に恵まれ、その育成に奮闘中というところかと推察致します。
去った年末の定期総会に25周年記念事業として、子弟の人間形成に役立たせる為の訪日研修旅行と25周年の歩みを記録する為の記念誌の発行をすることに決議されました。
経済的な負担も大きいかと存じますが、金では買えない収穫があるものとお考え下さって皆様のご協力と御参加をお願い申し上げます。