JICAシニアボランティアとして初めて、琉球芸能の指導者が当地に派遣された。那覇市出身の元高校体育教師、高山せい子さん(65)だ。2016年6月から2年間、ブラジル中にある40の沖縄県系団体を訪問し、琉球舞踊、光史太鼓、三線などの指導を行なう。骨折しても琉舞指導を休まない強い責任感の持ち主で、県系人からの信頼を集めている。
高山さんは幼いころから琉球舞踊に親しみ、高校の体育教師となってからは授業で舞踊を教えてきた。島袋流千尋会で琉球舞踊を25年間学び、指導許可も持つ。三線は野村流古典保存会で12年、光史太鼓は6年間学んだ。
在職中に琉球舞踊教育の研究発表を行い、琉球大学大学院で『沖縄エイサー八村の踊り比較』研究、教育学の修士号を取得した。学問的な見地から琉球芸能を理解している点が特徴的だ。
シニアボランティアを志したきっかけは、高校時代の友人を米国に訪ねた際、郷土芸能の普及活動を熱心に行っている姿を見て感銘を受けたから。『世界のウチナーンチュ大会』で各国県系人の文化継承の取り組みを知り「自分も協力したいという思いが募った」からだとも。
県人会本部のあるサンパウロ市に拠点を置き、8月18日現在までに、スザノ市などのサンパウロ市近郊都市からロンドリーナ、カンポ・グランデなどの遠隔地まで計20カ所の県系団体を訪れた。
なかでもスザノ市では県人会婦人部に対して週2回、2~3時間の舞踊指導を行なう。指導を受ける松堂初子さん(78、嘉手納)は、「先生はとても親切。みんな感謝しています」と話す。
17年6月には、護身術教室の体験中に肋骨を折った。医者からは全治3カ月、安静3週間の診断が下されたが、「JICA隊員としての任務を果たさなければ」との責任感から、骨折から2週間後のスザノ市さくら祭りとロンドリーナ市での沖縄祭りで琉球舞踊を披露した。
JICAからは安静を勧められたが、コルセットを装着して出演。痛みに耐えて踊り抜き、指導員の役目を果たした。「根性だけはありますから」と語る高山さん。
派遣期間も折り返しを過ぎ、8月22日から9月25日まで健康診断を兼ねて一時帰国。活動に対する感謝を込めた慰労会が各地で催され、15日には沖縄県人会サンマテウス支部寿の会(山田孝由会長)が行った。
同会の教室に参加した比嘉光子さん(中城村、81)は「普段あまり家から出ない高齢の人も先生の教室があると会に集まってくる。ウチナー口(沖縄方言)での指導はとても親しみやすくて楽しかった」と話す。
帰国直前の18日、高山さんに一年間の総括をたずねると、「沖縄県系人をはじめ、皆さんのゆいまーる(相互扶助)精神に本当に助けられた。感謝してもしきれない」と述べ、一層の奮起を誓った。今後は従来の活動に加え、身体障害者にも出来る琉球舞踊の考案と指導、当地大学でのエイサー太鼓に関する研究発表を行う予定。
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高山さんの派遣は、ブラジル沖縄県人会からの要請を受けて実現したもの。他の県人会もJICAに郷土芸能指導者の派遣を要請してみてはどうか。海外への文化普及に熱心で相応の見識を持った指導者で無ければ務まらない任務。適任者探しは難しく、派遣後のサポートも必要とあり一筋縄ではいかない事業。それでも挑戦する価値はあるのでは。