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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(63)

 ほんとに微笑ましいことではありませんか。妻なる私たちの目の届かぬ所で、私たちの主人たちは、あれこれと素晴らしいことをして居るのです。

 今までは子供を育てるために“あくせくの毎日”でしたので、主人がそのような用事で出かける度に「今日もまたでかけるの?」とか、と云う言葉がとっさに出たものでした。
 後では主人もその言葉が聞きづらかったのか、「ちょっと銀行まで行って来るからね」とか、「ちょっと床屋まで行って来るからね」と出かけたものの、もう晩の9時、10時になっても帰ってこないのです。
 そこで姑の二人顔を見合わせて「今日もまたやっぱりその事なのよ」と苦笑したものでした。

 しかし、今では子供たちも大きくなり、未だ教育途上ではありますが、「これでやっと!ちょっと!ほっとした」というところまでこぎつけて来たのですから、せめてこれからでも私たちの主人が青年協会その他の公用で出かける時には、「今日もまた?」と言わずに、「しっかり頑張っていらっしゃい」と喜んで送ってあげよう、と一人ひそかに思うのであります。

 そしてその一つの絆、尊い絆、たとえ私たちの主人が白髪のじいさんになろうとも、それは私たちの子や孫に至るまで、固く強く結んでいってもらいたいものです。

(1982年発行『移民青年隊着伯25周年記念誌』掲載)

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県人移民80周年記念祭典を迎えて
As Festividades em Comemoracao aos 80 Anos da Imigracao Okinawana no Brasil

 1 第12代県人会長に就任の頃

 日曜日の午後は気分的にもゆったりとした気持ちで体を休める。

 その気分でいる時にトヨとキサ子の姉妹二人が訪ねてきた。そして久し振りに姉妹と語り合った。
 そこへ長男一也のことが話題となり、もう30歳にもなるので早めに嫁探しをせんといけない話しである。これは親として大きな関心事である。

 ところが将来医師を希望しているので、それにふさわしい相手は自分で探し求めるのではないか、と片心本人の心遣いに期待していた。
 それは、彼の生い立ちからして当然親の心情を理解しているものと思うし、苦労して最高学府志望校に学ばせもした。更に日本留学までしていて日本の優れた文化や風俗・習慣を体験している。

 将来その体験を生かすべく期待して留学させたので、その親の思いをしっかり心に受けとめているものと信じて、親の背をみて育った子とばかりに気にもせずその時期を待つことにしているのであった。