1811年から二百年以上の歴史を有するブラジル陸軍アグリャス・ネグラス士官学校(AMAN)――。予てから日系社会と親睦を深めてきたマウロ・セザール・ロウレナ・シジ大将(陸軍教育文化部長)の計らいで、ワンワン会(平崎靖之会長)一行15人は、先月28日、同校の一日見学ツアーを開催した。陸軍幹部候補生を輩出する由緒ある校舎見学の貴重な機会となり、広大な敷地に歴史を感じさせる荘厳華麗な校舎に一行からは驚嘆の声が上がった。
同日午前8時リベルダーデ広場を出発し、車で走ることおよそ5時間。リオ州レゼンデ市に入ると、その地名の通り黒い針の如く聳え立つ山々が見え、その麓に同校はあった。
同校二百年史を紐解くと、ナポレオン侵攻を受けてブラジルに退避したポルトガル王室ジョアン摂政王子が、1810年12月の法令で、士官学校設立を制定。当時の宮廷にとって最大の懸念事項はまさに国土防衛。そのため訓練を受けた専門的先頭集団育成の必要性から設立された。
同校に到着すると、先月、リオ州カシアス公爵宮殿陸軍文化教育局に歴史文化遺産司令官として赴任した池田隆蔵中将が一行を熱烈に歓迎。同日にはポルトガル語圏諸国共同体九カ国が参加し、国連平和維持活動での人道支援を含む共同訓練の最終日とのことだった。
その後、池田中将を囲んで昼食をとりながら懇親を深めた一行。参加者からは、池田中将に質問が集中した。同中将の父・旭さんは、太平洋戦争従軍後、自衛隊入隊。60年渡伯しバウルーに入植。61年に6人兄弟の長男として誕生した。
60年5月18日にサントス丸で旭さんが到着したことが発覚すると、奇遇にも広島県人会の村上佳和副会長が「同船者じゃ」と喜び、盛上る場面も。そのほか様々な質問が飛び交った。
カンピーナス市にある陸軍士官予備校を修了した後、入学した生徒は同校で四年間訓練を受ける。生徒数はおよそ2500人。1、2年で幅広く教養を身につけた後、3、4年では歩兵隊、騎兵隊、砲兵隊、情報隊、工兵隊、補給隊、軍需品隊の7つの専門コースに進む。各段階では厳しい選考が待ち受けているといい、世界各国から留学生も受入ているそうだ。
昼食後、一行は池田中将の案内で校内を見学。創立二百年を記念した展示室では、模型を使い敷地内施設を説明。世界屈指という70万平米ある広大な敷地に校舎や訓練施設のみならず、一万二千人近くの軍関係者住居や専用病院、教会ほか、清掃やゴミ収集、排水処理等を行う設備を有し、まるで一つの街のような規模だ。
その後、校舎内を見学した一行は、図書館や荘厳な史料館に驚きの連続といった様子。史料館では、44年に落成した現校舎創設者・ジョゼ・ペソア・カバルカンチ・デ・アルブケルケ大将の肖像画を前に、同大将について解説があった。
第一次大戦で仏戦線で活躍した同大将は、30年に同校司令官に就任。士官教育や施設再編など数々の改革に着手し、レゼンデ市への校舎移転に尽力。士官の象徴と言える小剣や紋章、征服等も同大将により造られたもといい、それが今日まで脈々と引継がれている。言わば、同校の父といえる存在だ。
また、後に同大将は連邦首都移転計画委員会の委員長も務めたといい、その役割が決定的だったとも。同校移転のみならず首都移転を導いた先見の明のある同大将は、燦然と同校の歴史に名を残しているようだった。
午後4時頃、帰路についた一行。海空士官学校も訪れたことがあるという平崎会長は「これまで陸軍(士官学校)は来る機会がなかったが、規模が全く異なる」と驚嘆した様子で語った。
また、ブラジル移住前に自衛隊で四年間従事したという秋田県人会の河合昭会長は「政治汚職などいい加減な国だが、根底は安定を成している。日本もこういうものを作らないとダメだ」といい、一行からは北朝鮮情勢などで緊迫する祖国日本を憂慮する声が相次いだ。