日ポ交流イベント「O Japao e o Mundo Ocidntal」(西洋世界と日本)の主催団体「文化国際センター(CIC)」の代表、ネルソン・ファリア・デ・オリベイラさん(59)は、リスボン在住のポルトガル系ブラジル人だ。約140人が現地企業家らと会食しながら音楽などを楽しんだ。
「この交流事業は2002年に始まり、今回70回目。東京、名古屋、北東伯でも開催した」とのこと。団体サイト(www.encontrodosdescobrimentos.com/)に当日の概略ビデオも掲載されている。最初はブラジルとポルトガルの交流を深めるイベントだったが、徐々に日本、イタリア、スペイン、レバンノンなどと交流先が広がって来た。
ネルソンさんは「僕はブラジル生まれで、12歳で勉強をしにポルトガルへ。その後、ブラジルに戻り、サンパウロ市イピランガ区に住んでいた。だからリベルダーデも良く知っている。カーザ・ポルトガル(総領事館)があるだろう。交流の中心はあくまでポ伯日だ」とのこと。
「弁護士という仕事の都合で2000年からリスボンに住んでいる。ブラジルのポルトガル系コミュニティは弱体化していて本国との関係や二国間交流も弱まっている。だいたいクルベ・ポルトゲーザも会員が激減し、サッカーチームも低迷。そんな現状が心配で、何か交流を深める事業をしなくてはと考えた」ときっかけを語った。
聞けば、祖父は1930年頃にブラジル移住、その後母国に戻って父がポルトガルで生まれた。その父が1955年にブラジル移住し、そこでネルソンさんが生まれた。「父はいつも『一番いい友達はジャポネスだ』と口癖のように言っていた」という。3代にわたって両国を行き来する家系だ。
ネルソンさんは挨拶で「来年は記念すべきポルトガル人日本到着475周年。ブラジルでは日本移民110周年、ポ日伯にとって大事な年になる」と強調した。
出席した東(あずま)博史駐ポルトガル日本国大使にも聞くと、「ブラジルには93年に外務省の査察室長として行き、8在外公館全部を見て回った」とのこと。「ブラジルからこれだけの数の日系人が団体で来るのを見るのは初めてだ」という。
ブラジルから朝到着し、一行の平均年齢は80代だが、イベント開始は夜9時頃…。一行は午後11時頃にホテルへ退散したが、イベント自体は午前2、3時まで続いたという。この時間感覚もブラジルの原点のようだ。(つづく、深沢正雪記者)
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「O Japao e o Mundo Ocidntal」開会式では、県連幹部に加え、現地のグルッポ・アモリンの重役ジョーゴ・タバレス氏も顕彰された。同社はコルクの生産販売を手掛ける巨大企業で、100カ国に輸出する。世界のコルク産出量の半分以上はポルトガル産であり、同社は世界最大のコルク製造企業だ。社主のアメリコ・アモリン氏は2015年にポルトガルでももっとも多くの資産を持つ人物と報道された。日本のコルク原材料の9割はポルトガル産って、知ってましたか?