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特別寄稿=首都中央卸売市場の大火事=ストロエスネルの意外な一面=パラグァイ在住=坂本邦雄

ストロエスネル大統領( [Public domain], via Wikimedia Commons)

ストロエスネル大統領( [Public domain], via Wikimedia Commons)

 吾がパラグァイでもマスメディアの発達で、日常色んな事件のニュースが即刻報道され、気のせいか近頃はあちこちの火事の話も頻繁に良く聞く。今回はこの15日(日)の14時頃にアスンシオン中央卸売市場(アバスト)のブロックC一棟が全焼する大火災が起こった。

 同ブロックには約350名強の各種営業認可商人が入居しており、猛火で大切な在庫商品も運び出せず、多くは多年の苦労が無に帰し丸裸になって、当の市役所と共に被害は甚大を極めた。

 ただ、アバストでは日曜日は正午に皆店を閉めるので、客も既に居らず人混みが無く、死者や怪我人が出なかったのは不幸中の幸いだった。

 火元は、電気の古い配線ショートの発火が原因だと推測される。また同じく消火の水道栓も最初は上手く機能せず、非常呼集で馳せ付けた、アスンシオン及びセントラル県各市のボランティア消防団の消火作業に間に合わなかった等の、市役所当局の日頃からのメインテナンス体制の怠慢に問題があると非難された。

 火事と言えば、今年の3月3日の夜更けから翌早朝にかけて、アスンシオン市のバスターミナルでも大きな火災に見舞われたのは未だ市民の記憶に新しい事だが、マリオ・フェレイロ市長も大火事の災難続きで大変だ。

 なお、これらの人災とも云われる火災以外にも、街路の舗装や公共施設の維持管理(インフラ整備)が甚だ劣悪な事は市民日常の苦情であり、必ずしも現フェレイロ市長に限らず、ストロエスネル政権崩壊後の歴代市長の市政技量や誠実性が等しく問われる処である。

 ここで、えこひいきなく正当に評価すべきは、先述のアスンシオン中央卸売市場は、ストロエスネル時代のアスンシオン市長ギド・レネー・クンスレ技師(1972/76)の市政下で世銀の融資を受け、JICAの技術協力援助でその建設プロジェクトが推進されたものである点だ。次期市長ポルフィリオ・ペレイラ・ルイス・ディアス少将(1976/89)の手により、1981年に完成した。

 当時は、市長や知事は選挙によらず、内務省の管轄において大統領が選任したもので、若輩のクンスレ市長は、ストロエスネルの長男グスタボ空軍大佐の親友だった関係で、大統領がアスンシオン市長に任命したまでは良かった。だが、いたって市政能力が未熟で、中央卸売市場の前身(原型)たるアスンシオン第4公営市場メルカドの運営改善や、その他多くの公共施設の管理維持が全くダメで、「メルカド4」は豚小屋の様に汚い市場に変わって仕舞ったのを市民は忘れない。

 そこで当然のことながら、クンスレ市長を更迭し、ストロエスネルは後任にペレイラ・ルイス・ディアス工兵少将を発令した。

 同新市長は、かつてブラジルフォス・ド・イグアスーへ向けての第7国際道路の建設時に工兵隊を投入、指揮した他に、多くの公共土木事業の遂行にも大いに貢献し、ストロエスネルの信任が厚い技術将校だった。

 果せるかな、ペレイラ新市長は就任間もなく、「メルカド4」の清掃、整頓をアレヨアレヨと言う間に果たした。ストロエスネル政権崩壊の1989年2月までの期間に、内外融資には一切頼らず、市役所の自己資金で、立派な現市役所大ビルやバスターミナル等を見事に建設し、街路の新舗装や公共施設の維持管理を清廉な市政の許に効率的に達成した。

 悪夢とも云われた軍政下の独裁政権時代の事にせよ、命令一下物事がテキパキと迅速に解決、推進された事実は、ストロエスネル政権後の口ばかり達者で、腐敗し切った政治家や官僚は、少しは謙虚に模範として貰いたいものだ。

 ストロエスネル政権が1989年2月のクーデターで崩壊すると共に、ペレイラ市長もその職を去ったが、次期政権のアンドレス・ロドリゲス革命大統領に見込まれて土木公共大臣に起用され、1993年の政権交代時まで同要職を果たした。

 その後は一切公職から離れ、2012年に心不全で亡くなった。享年85歳だった。

 ポルフィリオ・ペレイラ・ルイス・ディアス少将が、市長に任命されて間もない頃に、自身で語った一つの逸話にこんなものがある。

 「ストロエスネル大統領は民情を知る為に、お忍びで良く、夜分自分で運転して街を回る事があった。

 そのある時、車が路面の大きな穴ぼこに落ちた弾みで、大統領は頭を車の屋根にゴツンとぶっつけた。

 これが面白くもなかったストロエスネルは翌日ペレイラ市長に電話で、どこそこの街路の修理を工兵隊を動員してでも直ぐに行えと命じた」。

 そのようにストロエスネルの眼は細々とした所にまで行き届いて居たので皆ピリピリし、隅々まで命令が徹底したのである。

 なお、ペレイラ将軍が残した言葉は、「市長たる者は執務室で毎日椅子を温めているばかりではいけない。街へ頻繁に出て沢山の問題を身を以て感じ、解決しなければならない。市長は市民の為に真に尽くすべきが本務である」と。歴代の市長さん達は一寸耳が痛くはなかろうか。

 これもストロエスネルが未だ眼が黒い中は良かった話で、要はストロエスネルの最も大きな罪は、良い後継者を育てなかった間違いにあったと思われる。