24日にサンパウロ市内の社会格差に関するデータが発表された事を受け、25日のニュースが、1年8カ月も求職中で面接も何度も受けたが、周辺部に住んでいるせいで断られている褐色(黒人系の混血)男性の例を紹介した。○○在住とか、○州出身という事で差別されるという事実は、生まれや居住地、肌の色という、本人には変えようがない要因が偏見などと結びつき、その人の将来まで支配する事を示す▼残念だが、その人の将来を支配しかねない要素は変えられないものだけではない。学歴や職歴も、新しい仕事を探す時などに少なからず影響する。それが、その人の能力や人柄を表すものとは言い難いにも関わらずだ▼学歴が人の評価を左右しかねない事は、「あの人は○○大卒業生ですって」などという会話からも窺われる。だが、出身大学が本人の人となりをどれだけ語ってくれるかは疑問だ。中学の理科の時、わかり易く、生徒の評判も良かったのは、東大出の教師の授業ではなく、愛知教育大出の教師のものだった。学生時代、学者一家の教授は理路整然と学説を説いていたが、農家出身の教授は、生活感溢れる例話も取り入れながら人生観を語ってくれた▼各々に持ち味があり、違いを活かす事で人間の幅ややれる仕事の幅が変わるのに、本人やその能力を見ず、学歴や居住地などで採用の可否が決まるとしたら、本人や職場双方の損失だし、その人の将来の可能性を狭める。二次試験で落ちるのは2割という試験に落ち、恥ずかしいという女性に、子育てや仕事をしつつ挑戦した母親が不合格になったのを見た子供達は、恥じるより、挑戦する姿を誇らしく思うはずと語るのは現実離れしているだろうか。(み)