カトリック世界では有名な「聖母出現の奇跡」が起きた場所が、ここファチマだ。4日目の9月20日、一行はバスでリスボンを出発して、北に123キロの大聖堂に立ち寄った。バチカンが公認している奇跡であり国際的な巡礼地だ。大聖堂のあらゆる場所に聖母にちなんだ美しい意匠が凝らされている。
3人の子どもが聖母からの三つのメッセージを受け取る奇跡が、最初に起きたのが1917年5月13日。さらに同年10月13日には、一目でいいから聖母に会いたいと雨の中をファチマに集まった約7万人の群衆の目の前で《太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった》という奇跡も起きていた。
今年はそれから百周年で、5月13日には教皇フランシスコ自らが出席して、聖母と会った子どもを「聖者」に任命する列聖式典が盛大に執り行われたばかり。
ちなみにブラジルの守護神アパレシーダも、この10月12日に300周年を祝った。漁師がパライバ川で網を投げたら首のない聖母マリア像がかかり、続いて今度は頭部がかかった。その後、それまで全く不漁だったのがウソのように、船が沈没しそうになるぐらい魚が採れるようになった。そんな素朴な奇跡がブラジルの場合だ。
ファチマの奇跡はもっと神秘的かつ物騒だ。聖母が残した三つのメッセージの一つ目は「死後の地獄の実在」、二つ目は「大戦争(第1次世界大戦)の終焉と勃発」。問題は三つ目で「ファチマ第三の秘密」と呼ばれ極秘扱いにされた。聖母マリアは「1960年に公開しなさい」と厳命したとされる。だが同年が過ぎても教皇庁は公開せず、憶測が憶測を呼んで、核戦争や第3次世界大戦を予言する内容ではないかと危惧する者もあらわれた。
その結果、1981年にはあるカトリック修道士がアイルランド航空164便をハイジャックし、「ファチマ第三の秘密を公開せよ」と要求する事件まで起きた。
つい最近2000年になってようやくバチカンは発表に踏み切り、1981年の教皇暗殺未遂事件に関するものだったとの解釈を示した。ところが「全文ではない」との疑惑が持たれている。
ブラジルは「非宗教的」(laico、一つの宗教にかたよらない)と憲法で規定されている。だが現実には十字架像はサンパウロ州議会を含め、あらゆる公的施設に偏在する。クリスマスやパスコアなどキリスト教に関わる国の祝日も多い。生活習慣の奥深くにカトリック文化がしみ込んでいる証拠だ。その原点はファチマに見られるような強い聖母信仰だ。
ファチマもアパレシーダも共にカトリック特有の「聖母信仰」だ。キリスト教の基本原理は「父なる神・御子イエス・聖霊」が三位一体であること。それらが一体となった「神」に祈るのが本筋。そこに聖母は入らないので、北米に多い厳格なプロテスタントでは聖母信仰は許されない。
「怒り罰する」厳しい父的な神だけでは我慢できない信者が、「ゆるし慰めてくれる」優しい母なるマリア信仰を求める。伯ポに共通する国民性の一端がマリア信仰にありそうだ。
思えば、日本の「観音菩薩」も女性の姿で描かれることがあり、聖母信仰に似た部分がありそうだ。かつて隠れキリシタンは、慈母観音像を聖母マリアに見立てて「マリア観音」と呼んだ。ポルトガルを起点に、聖母信仰が3国の歴史に深く根を下ろしている。(つづく、深沢正雪記者)