そのため一極集中的に大都市や工業都市に人口集中を余儀なくされ、地方は過疎化し立ち遅れてしまった。
そこでその地域やそれぞれの地方の活性化を図る目的で全国3,300余の市町村に一率一億円を交付した。
そして自から考え自ら行う特殊事業でもって故郷の活性化・創生をはかること。
同時に海外日系社会においても、同じように2世・3世と世代が進むにつれ、母国・母県との縁も薄れてしまうので、それぞれの故郷を訪ね交流を深め、永遠にその国との絆を維持し活性化をはかることを目的に250名の「ふるさと創生事業団」が結成され訪日したのである。
日系120万人から250人と員数にしては少ないけれども、国家総理の施策としての意義は深くユニークな構想と云える。
然もわが母県沖縄においては他県では見られない世界ウチナーンチュ大会が開催され、移民大県だからこそできる一大事業を展開し、海外県系人が大きな喜びと誇りを享受した年でもある。
そのふるさと創生事業訪問団にはサンパウロ市の沖縄県人会本部から5名、パラナ州、ロンドリーナ、及び南マット・グロッソ州カンポ・グランデー各支部から各1人を含め7名の県系人が参加した。その氏名は下記の通りである。
5
『ブラジル沖縄県人移民史 ― 笠戸丸から90年』の思い
ー 山城勇氏インタービュー
宮城あきら―『ブラジル沖縄県人移民史―笠戸丸から90年』は、2000年6月18日に発刊されましたが、刊行と同時に内外から大きな反響を呼び、文協主催の2000年度『ニッケイ文芸』賞を受賞すると共に、『沖縄タイムス出版文化特別賞』を受賞しました。
2つの賞の受賞に輝いたことは、編集委員一同大いに喜び、光栄に思ったことでしたが、それは同時に笠戸丸移民以来の幾多の苦難を乗り越えて今日を切り開いてきた全ての県人移民に授けられた栄誉として受け止め、胸にかみしめたことが思い出されます。