日本で一番古い大学は、私立の身延山大学で1556年(弘治2年)に「善学院」として開学したというが、それより266年も古い大学がポルトガルにはある。
20日午後、ファチマからさらに北へ85キロの古都に向かった。欧州で最も古いといわれる、1290年創立のコインブラ大学があることで有名なところだ。
それに1139~1255年までは、ここが首都だった。ここからキリスト教のレコンキスタ勢力がリスボンまで兵を進めてイスラム勢を攻略して取り戻し、首都を移転したという歴史がある。
大学が創設された13世紀は、日本でいえばまだ鎌倉時代。その当時の建築物が多く残されており、「西洋風の京都」のような感じだ。
コインブラ大学前でバスを降りると、さっそく現地ガイドのミライ・マルコスさんをつかまえ、河内さんに教えてもらった「コインブラのセ教会の中にある共同墓地に、1500年代の終わりごろに日本人数人が埋められたという話を聞いた」という話をぶつけてみた。すると「あら知っているわ。Se Nova Catedral de Coimbraよ。歩いて5分、すぐそばよ」とのこと。
HIS随行員と県連幹部にお願いして、1時間だけ別行動を許可してもらい、ワクワクしながら教会を見に行った。
単なるイグレージャ(教会)ではなく、地域全体の教会を管轄するカテドラル(大聖堂)だった。前者には神父、後者には司教がいる。その上には法王を受け入れる設備のある場として、法王庁から特別に公認されたバジリカがある。
言われた通りすぐそばにあり、階段を駆け上がってみると歴史を感じさせる荘厳な建物だ。「ここに16世紀に来た日本人が眠っているのか?」と思いながらドアを抜けると、ほとんど人がおらず、少し拍子抜けした。
観光客が人だかりになっているコインブラ大学とは全く異なる。いかにも暇そうに、入口で観光客向けに本や土産物を売っていた教会職員に確認すると、「入って左側、奥に向かって3つ目の祭壇がイグナチオ・デ・ロヨラを祀っていて、その足元のところに日本人が埋められていると聞いている」というのでさっそく行ってみた。
たしかにロヨラ像を中心に4人の弟子が囲むような祭壇があった。プラッカ(表示板)を探してみるが何もない。
もう一度、職員に念を押すと「間違いない。プラッカはないが、教会ではそう言い伝えられている。ここはイエズス会の教会で、イグナチオ・デ・ロヨラは創立者の一人でもあるから、それを顕彰した祭壇だ。イエズス会が日本にザビエルなどの宣教師を送り、その影響で日本人の信徒が1500年代にやってきてここで学んでいるうちに死んだので、ここに埋められたと言い伝えられている」とのこと。
「何かそれについて書いたものはないか」と畳みかけると、教会の歴史の本をペラペラとめくりだした。数分調べたが、これぞという場所が見つからない。待ち合わせ時間が迫って来たので、「その本を売ってくれ」と買って急いて集合場所に向かった。(つづく、深沢正雪記者)