リスボンの日本国大使公邸には現地日本人が10数人ほども集まっており、一行と熱心に語り合う姿がみられた。
今回HISトラベルの現地パートナーとして旅行の手配をしたミキトラベル代表、久保田右子さん(ゆうこ、46、広島県)は現地在住20年。不思議なこの国との関わり方をしている。
「父が船乗りで、父が好きな国の一つがポルトガルだったんですね。人が優しいって。幼い頃、現地から絵葉書をもらった覚えがあります。それで父が亡くなった時に、ちょっとセンチメンタルになって1年間の学生ビザでやってきたら運命の人に出会って、ここに住んじゃいました」と笑顔を浮かべた。
70年代から住んでいる土屋光春さんは(70、東京都)は日本の商社に勤務して赴任、そのまま永住した。「若い頃、檀一雄と一緒に住んでいたことがありますよ。6カ月ぐらい。たしか『火宅の人』を書いている時期でした。飯炊きとか、いろいろしました」と笑う。
連載の冒頭で大浦文雄さんが話題にした「最後の無頼派」文士、檀一雄だ。1970年(昭和45年)11月から1972年2月までリスボン近郊の静かな漁村サンタクルスに滞在し、執筆活動をした。当時「文壇屈指の料理人」として知られていた壇だけに、ここの豊富な魚料理が気に入ったのかもしれない。
土屋さんは「壇さんは片言、ポルトガル語を勉強して日常会話ができるようになっていた。それで村人からすっかり気に入られて、漁師が獲った魚を朝、何も言わずに家の前に置いていくこともあった」と思い出す。
「とにかく酒が強く、毎晩浴びるほど飲んでいた。そして太宰治とか坂口安吾の話題とか、文章の書き方とかそんな話ばっかり。どう説明していいか分からないが、とにかくスケールの大きな人だと感じた。人の言うことを良く聞き、鋭い人間観察をする人。あの人に会って、ボクの性格もずいぶん変わったと思う」と懐かしそうに語った。
やはり42年間住む町田靖子ガルシアさん(72、北海道)は、夫のジョアキン・カンタンテ・ガルシアさんがポルトガル人医師。東京のガンセンターで早期ガンの対処を学んでいる研修した縁で結婚し、コインブラに在住。
その地名を聞き、「鹿児島のベルナルド」のことを尋ねると、「私はあのカテ
ドラルで毎週、ミサの合唱をしていますよ」とのこと。「ベルナルドは高熱を出してコインブラで亡くなったとか」とさすがに良く知っている。
さらに「コインブラが世界遺産になったのは、富士山と同じ日だったんですよ」と大事な日を日本と共に迎えた共通点を挙げる。「16世紀以降で最初、400年ぶりのポルトガルから日本への医学交流が夫の医学研修でした」とのこと。やはり伝統のある国だけに、言うことが違う。(つづく、深沢正雪記者)