移民写真家・大原治雄(1909―99年)の展覧会が昨年4月、高知県立美術館で開催された。大原の作品が展示されるのはこれが日本初で、大きな注目を集めた。同美術館で主任学芸員を務めていた影山千夏さんが9月下旬から約3週間、大原の家族など関係者に会うために滞伯。日本ではほぼ無名だった大原の展覧会を開催した経緯や、その反響などについて語った。
大原は1927年、17歳のときに家族とともに高知県からサンパウロ州コチア市に入植した。33年からパラナ州ロンドリーナ市に移転し、コーヒー栽培に従事する傍ら、家族の日常や農園風景などの撮影に打ち込んだ。70年代初頭から徐々に知られるようになり、死の直前、98年に「ロンドリーナ国際フェスティバル」で初個展を開催した。
大原の写真には過酷な労働や生活の苦しさは写し出されていない。家族や身の回りの人、自然の美しさなど、日常の何気ないものに目を向けてシャッターが切れられている。日系社会や日本でもあまり知られていない存在だった。
しかし、2015年の日本ブラジル修好120周年を機に、駐日ブラジル大使館と大原の作品を管理するモレイラ・サーレス財団(IMS)が大原治雄写真展を企画。高知出身の移民写真家ということに加え、作品自体の美しさも決め手になり、高知県立美術館が開催を決定した。
日本でもNHKのテレビ番組「日曜美術館」などで取り上げられこともあり、一躍、「移民写真家」として認知される様になった。
県立美術館には40年代から60年代に撮影された作品を中心に、約180点の白黒写真を展示。大原が渡伯以来70年間書き続けた日記、自作の写真アルバム、使っていたカメラなどの関連資料も展示された。
展覧会の開催式典では、大原と晩年を過ごした孫のサウロ治夫さんが挨拶し、「日本で写真展を開催できたのを一番喜んでいるのは天国にいる祖父だと思う」と話した。大原は妻とともに日本を訪れることを望んでいたが、73年に妻に先立たれ、生涯祖国の土を踏むことは無かった。
影山さんは「来場者の中には作品を見て涙を流す人もいた」と言う。また「写真から温かみを感じた」という声や、「移民は苦労だけでなく、幸せな時間も過ごしていたことを知れた」とのコメントもあった。
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高知県立美術館のあと、大原治雄写真展は兵庫、山梨を巡回。先月からは東京の「フジフイルム スクエア 写真歴史博物館」で精選された作品22点が公開中。ここでの展覧会は12月28日まで。入場無料。写真集も昨年出版され、日本での大原治雄の知名度は着実に高まりつつあるようだ。そろそろサンパウロ市でも〃凱旋〃写真展をやってもいいのでは?