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県連故郷巡り ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第24回=「メストレいる限り日本信じる」

ポルトガル柔道クラブのカルロス・ラモス会長

ポルトガル柔道クラブのカルロス・ラモス会長

 「父はポルトガル語がペラペラではありませんでした。でも絶大な信用をされていました」というのは「ポルトガル柔道の父」の娘さち子さん。
 「清さんの教え子は何人ぐらいですか?」と尋ねると、「何万人じゃないでしょうか。タクシーに乗ると、よく運転手と話をするんですね。60代から上だと父から教わったという人がけっこういます。昔、徴兵制度があったんです。少なくとも4年間、多い人では8年間。その間、義務として父から直接、間接に柔道を習っていたんですね」とのこと。
 「革命後のアルマンド・イアネス大統領も教え子でしたから、いろいろなネゴシオ(商談)もうまく行ったんですね。父が一言『どうにかならないか』といえば、『メストレがそう言うなら』と、なんとかなることがあった時代なんですね」と笑う。
 「海軍練習船(帆船)サグレスの船長で、友人のアントニオ・ゴベイアさんから、こんな父の話も聞きました。『1958年頃のポルトガルの政府は、日本はまた再軍備をして世界を相手に戦争を起こす危険性があると疑問視されていたんですね。ポルトガルにも日本国大使が来ていましたが4年ごとに入れ替わるでしょ。ですが、父はずっとここにいる。国の中枢の人が『メストレがいる間は日本を信じる』と思っていたそうです。それだけ、父を頼りにしていたんでしょうね」
 一行は9月19日に小林清さんが設立した道場「ポルトガル柔道クラブ」(Judo Clube de Portugal)に案内され、後継者であるカルロス・ラモス会長(54)から説明を受けていた。ベルギー製の畳モドキが140畳も敷き詰められている立派な道場だ。
 ラモス会長は、「メストレ小林はたくさんの柔道家を育てた。1959年にポルトガル柔道連盟を設立し、終生創立会員だった。最初の柔道選手権を開催し、柔道を広めた。メストレの功績は偉大だ。ポルトガルだけでなく、ヨーロッパ全体に影響を与えた」と一行を前に演説した。
 「この道場がポルトガルで一番歴史あるところ。かつてここから12人の五輪代表選手を輩出した。今でこそ一番強い道場ではなくなったが、一番伝統がある場所であることに変わりはない。今では柔道だけでなく、ここで空手、柔術も教えており、毎日練習がある」と胸を張る。
 ブラジルにとって柔道はメダル最多獲得競技に育っているが、ポルトガルではそこまで行っていない。「でも1995年に幕張で行われた世界選手権大会で女子選手フィリッパ・カヴァレリ(Filipa Cavalleri)が銅メダルを獲得した」。
 ラモス会長に柔道を始めた動機を尋ねると、「父がやっていたから6歳で自然に始めた。柔道をやると精神が安定し、気持ちが平穏に保たれる。柔道は単なるスポーツ以上のものだと思っている」とのこと。この精神性は講道館柔道の強い薫陶を感じさせる。
 会長は「まだブラジルには一回も行ったことないが、日本には4回行った」という。「日本はとても気に入ったが、僕らのようなラチーノにとっては日常の約束事が多くて、生活するのは大変そう」と笑った。(つづく、深沢正雪記者)