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県連故郷巡り ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第25回=地元紙が大々的に報道

ジェロニモ修道院の尖塔が見える大使公邸の庭で記念撮影

ジェロニモ修道院の尖塔が見える大使公邸の庭で記念撮影

 リスボンの日本国大使公邸での交流ディナー中、外交官らと歓談した際、日本人奴隷に関する資料がないか尋ねたが、「私も個人的にこの件にはすごく関心を持っているが、ポルトガル外交官は一般にこの件には触れたがらないとの感触だ」という。ブラジルの黒人奴隷の問題のように歴史的タブーになっていることが伺われた。
 奇しくも大使館の庭からは、リスボン初日に回ったテージョ川沿いの「発見のモニュメント」やジェロニモ修道院が一望できた。
 1553年に日本人として欧州に初上陸して1557年に骨を埋めた西洋圏移住者の先達「鹿児島のベルナルド」、ブラジル独立の思想が育まれた本国のコインブラ大学、「ポルトガルの柔道の父」などの興味深い歴史を通して、伯ポ国民性の共通点と日本人との関わりが感じられ、興味深い〃三角関係〃が辿れる旅となった。
 公邸の裏庭から見渡せる日本や南米に向かった船乗りたちの出発点の夜景を眺めながらの一行の歓談は、いつまでも尽きないようだった。
 最後の全員で恒例の「ふるさと」を合唱し、今ツアーを締めくくった。今回の故郷巡りでは残念ながら、一度も先人に焼香する機会はなかったが、心の中で、ブラジル独立の先駆者や鹿児島のベルナルドに線香をあげた。
 日本国大使公邸には、同館の配慮でポルトガルの現地紙ジアリオ・デ・ノチシアの記者が来て取材し、9月23日付同紙には県連一行の交流ディナーに関する大きな記事が堂々と出された。
 同紙は1864年創刊で、日刊紙としては国内4位の部数(約1万8千部)を誇る。そんな新聞に、デカデカと「ブラジルで最も勤勉な人種は日本人とポルトガル人」という下本八郎元州議のコメントが大見出しに使われていた。ブラジル国内では県連故郷巡りが一般紙の記事になることはないが、ところ変わればかなり珍しい存在のようだ。
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 「天正遣欧使節団もけっこうですが、3国関係を語る上で、忘れてはならない重要な歴史的事実があります」―そんな電話が、この連載中にUSP法学部の二宮正人教授からかかってきた。
 「たとえばジャセグアイ海軍少将の訪日、大武和三郎をブラジルに連れて行ったアルミランテ・バローゾ、大戦中の日本におけるブラジルの利益代弁国であったポルトガルの役割です」。
 二宮さんは2013年、日本ポルトガル470周年の折、駐ポルトガル日本国大使館から講演を依頼され、リスボンのカトリック大学で「日伯関係におけるポルトガルの役割」を発表したこともあって3国関係に実に詳しい。(つづく、深沢正雪記者)