1980年代~1990年代の財政政策で多大な損失を受けた預金者への補償問題で、27日に銀行と預金者の間の最終的な合意が成立したと28日付現地紙・サイトが報じた。
1987年のブレッセル・プラン、1989年のヴェラン・プラン、1990年と91年のコーロル・プラン(第1次と第2次)の4政策は、預金凍結などにより、預金者に多大な損失を与え、100万件を超える訴訟を引き起こした。
連邦総弁護庁によると、ブラジル預金者前線(Febrapo)とブラジル消費者保護協会(Idec)、ブラジル銀行協会連盟(Febraban)との3者の合意は、4日に署名後、最高裁の承認を待って発効となる。
24年にわたる係争に関わり、補償を受ける可能性のある人々は300万人に上る。係争には関わっていなかったが、先の4政策によって損失を被ったという人は、その当時、預金口座を持っていた事や、残高があった事などを証明すると同時に、今後発表される期間中に係争参加者として登録し、今後は係争を起こさない事や、補償額の割引(割引率は未発表)などに合意すれば、同様の補償を受けられる。
補償総額は一時、1千億~3410億レアルに上ると見られていたが、最終合意では100億レアルを少し上回る額で落ち着く見込みだという。
G1サイトによると、銀行側は既に補償金を確保しているというが、実際の支払は来年に入ってからの分割払いとなる見込みのようだ。
先の政策中、最もインパクトが強かったコーロル・プランは、コーロル氏が大統領に就任した翌日(90年3月16日)に発表したものだ。コーロル氏は、5万クルゼイロ・ノヴォを超える貯蓄預金(ポウパンサ)を18カ月間凍結して中央銀行に回収する事や、クルゼイロへの通貨変更などで、市場に出回る通貨を減らしてインフレ抑制を図ろうとした。
だが、突然の預金凍結は不動産購入者の自殺などの大混乱を招いたにも関わらず、期待したほどのインフレ抑制効果は得られず、翌年の物価や給与の凍結なども招いた。90年3月のインフレ率は月100%で、前年12月に記録した月50%の倍になっていた。
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