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どこから来たの=大門千夏=(5)

 私たちが住んでいる所はセ広場からタバチンゲーラ街を下って、最初の道を左に入るとシルベイラ・マルチンス通りがある。ここにある借家だった。何といっても私の好み、「町のど真ん中」にあるアパートである。セの広場に歩いて五分、リベルダーデに七分。最高に住みよい場所だ。古い建物だから天井は高く各部屋は大きくゆったりしている。私は大いに気に入ったが、夫にとっては夜やかましくて寝むれないと文句を言う。
 その頃、自家用車を持っている人はほんの一握りだった時代で、何がやかましかったのだろうか。静かなサンパウロだったのに。
 夕方遅く帰ってきた夫は胸を張って「家を買ってきた」と、まるでおもちゃを買って来たような言い方をした。
「へー何処に?」
 コンゴニヤス飛行場でバスを降り、あの辺りの売り家を探していたら急に雨が降り出した。雨宿りするところもなくて、来たバスに急いで飛び乗った。しばらくくねくねと回っていたが、雨がやんだのでバスを降りた。降りたところにバール(飲食店)があったので中に入って、家を探していると言ったら、この坂の上に五軒長屋があって、その一番右端の家がポルトガル人の家だ、あいつが売りたいと言ってた、と言われてそのポルトガル人に会ってきた…と此処まで一気にしゃべった。
 そして買うことに決めた。次の日曜日に半金持って行くという。
「エッ! もう決めた
「ルア・ミルトン」
「何処なの?」
住所は?」
「ウーン、飛行場の向こう。雨がやんで飛びおりた所だ」
 翌日の日曜日、夫は一人で又その買った家を探しに行った。帰ってくると、
「見つけてきたぞ。今度はわかった。ちゃんと行けるぞ」と大威張りで言う。
「高台にある童話に出てくるような可愛い家だ」とも言った。
「とにかくバスに乗ったら、右上空をじっと見ていたら必ず見つかる」
 わが夫は人間は高い所に住まねばならないと言う信仰心をもっている。理由は簡単、自分が育った家が「郊外の高台にある家」だったからという単純な発想。まあ「何とかと鶏は高いところがお好き」の類じゃあないかしらと、ひそかに悪口をいう。
 次の土曜日、私は赤ん坊を夫に預けて「高台にある童話に出てくるような家」を探しに行った。セの広場から飛行場行きのバスにのる。その頃コンゴニヤス空港の周りはアルファッセ(レタス)畑がずっと続いていて、家がポツンポツンとあり、その間をバスがくねくねと廻っていた。この飛行場までがなんとか文明の浸透した地で、これ以上向こうは未開の地という感覚だった。
 空港でバスを乗り換えて、ジャルジン・ミリアン行きか、シダーデ・アデマール行きに乗る。ここからは「地の果て」に行くみたいに埃っぽい土道が続いていて、窓から見える家も「中の下」「下の中」と言った感じの貧しき家ばかり。だんだん心細くなる。乗り降りする人ももう一つ…で、わびしさが一段と増してくる。
 夫から言われたように、じっと右上を注意して見ていると三〇分くらいすると、雲ひとつない真っ青い空の中に、色とりどり、派手派手に塗られた家が五軒並んでるのが見えてきた。アッ、アレだ!。急いでバスを降りると、言われたとおりすぐ目の前にバールがある。