もちろんあの結婚記念の絵は一番に積んだ。応接間の壁にかけた。濃い黄色の壁に金色の額。なんだかどこかの国のハーレムの写真にあったような応接間が出来上がった。
知性と教養、文化の香り高い趣味が、いまでは成金趣味のハデハデ応接間に変身した。
初めて手にした分相応なる不動産。不思議なことにここが自分たちの家だと思うと、今まで借家にいたときとは違った安堵感が全身を包んで心が落ち着いた。
そのうち、この家、このルア・ミルトンがブラジル生活の出発点になるのだと言う気概まで湧きあがってくると、周りを冷静に観察する心の余裕まで出てきた。
さみしいところだけど眼下をバスが通っている。あれに乗ればどこにでも行けるのだ。コンゴニヤスの飛行場に行けば外国にだって行ける。さみしがることはないゾ。あれだけクヨクヨメソメソしていた私は一ヵ月もするとガラリと気分が変わって、ここが終の住かであるはずはない、ほんの腰かけだ。其のうちもっと町中に家を買えるようになる。そう思うと気が楽だった。
ここでこれから生涯にわたって付き合う二人の女性…郁さんとブラジル人のルジア。彼女たちのおかげでブラジル生活一度も淋しくもなく、日本に帰りたいと思うこともなかった。…という幸せな出会いが容易されていた。
このことを思うと、突然雨が降ってきたこと、その縁でルア・ミルトンに引っ越してきたことは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。…と時折考えてみたりする。
昔の人が言ったように、私たちはやはりお釈迦様の掌の上にいるのだろうか。うん、きっとそうにちがいない。(二〇〇九年)
小さな花に
抱き抱えるほどの花束を持って、娘の家族が賑やかにやってきた。
今日は私の誕生日。ガーベラ、ユリ、トルコキキョウ、小菊、バラ、色とりどりの花は、四月の青い空の下で生き生きとエネルギーに満ちあふれている。毎年娘はくれる。私が喜ぶからだ。
しかし今年は見た瞬間…ンンンン。
私は少し堅くなってありがとうと言い、それからあわてて、とってつけたように嬉しそうな顔をした。
…こんな大きな花束を。
本当は近年まで花屋に並んだ派手な花が大好きだった。見ているだけで心楽しくなり、リッチな気分になる。プレゼントにもらったらなおさら幸せな気持ちが湧いてくる。
しかし今、これだけの花を生けるには、あの一番大きな花瓶を…これは二キロ以上あるだろう。これに水を入れる。もう持ち上げられない。それに花を生ける。毎日の水の取り換え、考えただけでその重さに泣きたくなる。娘はどうして私の体力が衰えてきた事に気がつかないのであろうか。
それと、もう一つあるのだ。
このごろ、花が少しずつ汚くなってゆく様を見ているのがつらくなってきた。目の前で衰えてゆく、生あるものが衰弱してゆく…なればさっさと捨てればいいのに…しかしそれが可哀そうでとても出来ない。
一日一日と元気をなくし、精彩さが無くなる頃、首を垂れる。同時に花びらが少しずつ茶色になって行く。ユリは最後まで花びらをシャンと立てたまま徐々に茶色になって行く。若い時は何も感じなかった…と言うより早々と捨てていた。