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どこから来たの=大門千夏=(14)

 小さい時から私は発掘品が好きで、若いころは考古学者になろうとしたことがあったが、ある時、発掘現場で多くの学生が、炎天下にしゃがみ込んでハケを一本もって土を払いのけている作業を見て、即、その気を失くしてしまった。
――考古学者になるよりコレクターになったほうが楽だわい、と気楽な道を選んだから努力の結晶
で得た発掘品は一つもなく、みんな貰い物。
「蛇の道はへび」とはよく言ったもので、好きだ好きだと大声で宣伝していたら、いつの間にか数十点が集まったのである。
 私の一番大切にしているのは、アマゾン旅行をした時に、マナウス市の郊外に住んでいる友人からもらった鉄色をした石斧である。
 彼は自分の農園を耕している時、見つけたと言っていた。使い道がないから漬物の重しにしていたそうで、そんなに好きならあげるよ、と言って下さった。
 あのあたりに住んでいたインジオ、サテレ・マウエ族が作ったものだろうとの話だった。いくつか持っている中でも突出した形の良さを持っている。
 縦横それぞれ一〇㎝くらいで、刃の曲線が何ともかわいらしい。かつてはこの石斧に棒を付けてひもでくくっていたのだ。ひもと言っても蔓である。巻きつける所にはきっちり溝が掘ってあって、一分の狂いもなく左右対称。いくつか持っている中でも突出した形良さをもっている。どこにも壊れ、ヒビはなくて完全な品。
 ブラジルのインジオはペルーやメキシコのインジオに比べて芸術的に劣ると思ってきたが、私のこの石斧に関しては引けを取らない…と心ひそかに思っているし、どこの博物館に行っても「私のほうがずっといい物を持っている」と鼻持ちならないほど優越感にひたり、自己満足している。
 それともう一つの石斧は酋長が死んだときに、彼の右肩にシンボルとして置いたものだそうで三〇×一二㎝もある。持ち上げるだけでも大変だ。
 これはフランス人のコレクターが、二つ持っているから一つあげるよ、と言って下さったものである。しかし大きいだけで形の美しさはない。でも珍しいし「、酋長しか持てない物」と言う所が気に入って、この二つが私のとびきりの宝物である。
 クリチーバ市から海岸に下りてゆくとパライーバの町に出る。
 四〇年も昔の事、まだ家族四人がみんな揃っていた時のことだ。ある時、ここの博物館で、はるかに形の美しい石斧を見つけた。
 少し縦長で、石は緑がかった何とも品の良い色をしていて、ガラスケースの中でここだけが光り輝いているように見えた。形の良さ、厚みの持つ立体感、手に持ちやすいように小さなくぼみまで付いている。と言うことは、これはこのまま手に持って使ったものだ。
 見ただけで作った人の趣味の良さを感じるようで、羨望と悔しさと何かしら憤りとを感じた。
「うわーこれはすごい。あの昔に芸術家がいたのね、完璧よ。これには負けたわ」周りのお客の迷惑を考えるゆとりもなく、私は奇声を上げてガラスケースに張り付いてしまった。
「きっと前世の貴方が作った物にちがいないわ」と傍らの夫に話しかけると彼は当惑したように、
「僕、作ったのかなー」と気のない返事。
「そうよ。絶対あなたよ」と決めつける。
「博物館に飾ってもらってるんだから、まあいいわよね」と一人納得して、憤りが収まった。
 出来の良い発掘品を見ると必ず、夫が前世に作った…と確信する。