今年も本日で、本年最後の新聞となった。本当に一年が早い。今年もいろいろ取材したが、中でも一番感動した話を紹介したい。8月末にブラジル静岡県人会創立60周年の祝賀会の席で、川勝平太知事にインタビューした時のことだ。
上座で食事をしていた知事に近づき、「11月から日系四世向けのビザが始まる可能性がありますが、そうなると静岡県にも四世が増える。そんな彼らはきっと子どもも連れて行く。今以上に日系子弟の教育問題が増えるかもしれません。それについて何か対策を考えているか教えてほしい」と質問したら、こんなエピソードで答えてきた。
知事が16年3月、静岡文化芸術大学の卒業式に出席した際のことだ。「卒業生総代として挨拶したのは日系ブラジル人の女の子だった」と驚いた時の表情をみせ、彼女のことを熱く語り始めた。
「10倍の競争率を乗り越え入学して、一番で卒業ですよ。羽織はかま姿で大学への謝辞を述べる途中、『少しだけ母国語で話すことをお許しください』といって、何かペラペラと言って、はらはらと涙を流し、すぐに持ち直して日本語で挨拶を締めた」と臨場感たっぷりに説明した。
そう説明する知事の目には、涙がにじんでいた。「あとで『彼女はあの時に何といったか』と関係者にたずねたら、『彼女は10歳の時、デカセギにきた親に連れられてきて、日本語も文化も分からない状態でした。ただひたすら努力してここまで来ました。それを後ろから支えてくれたお母さんに感謝の気持ちを自分の言葉で伝えたかったようです』とのことでした」。
会場の保護者席にいた母親は、厳粛な場で自分だけに向けられた突然のポルトガル語に、きっと驚き涙したことだろう。ドラマの一場面を見ている気分になり、取材しながら、ついその情景を思い浮かべて、こちらも目の前が急に熱くなってノートの字がにじんで見えた。
でも「ここで感情に流されてはいけない。大学に行けないデカセギ子弟が大半なのだ」と気を引き締め、知事に質問を重ねた。
「彼女のように大学を卒業できる日系子弟はほんの一握り。半分以上は高校すら卒業できないと聞いています。それに対して何か対策は?」と聞いた。
すると「まずは先生の側も国際化が不可欠。教師に対して青年海外協力隊に応募しなさいと薦めてきた。外国で自分が苦労すれば教室内の外国人児童・生徒への理解が深まる。あと生徒にも高校生になったらパスポートを持ちなさいと薦めている」とも。知事は「静岡に来れば誰も差別されず夢がかなえられる。それを大方針にしている」としめくくった。
良い話だが、今学校に通っている子供たちへの特効薬にならない点が歯がゆい。
謝辞をのべた女性は宮城ユキミさん(二世)といい、県を代表する企業2社に内定をもらい、語学を活かす機会のありそうな物流系企業を選んだ。本人に連絡をとって、卒業式の言葉を正確に教えてもらった。
正しくは「今まで支えてくれた家族、先生方、友人に感謝を述べるとともに、外国ルーツでも、日本の大学を卒業することは、単なる憧れではなく、達成しうる目標であることをここで証明します」というものだった。
この出だしの「今まで支えてくれた家族」が「母親」として関係者を通じて知事に伝わったようだ。
宮城さんとしては、母への感謝はもちろん、「日本にいるブラジルルーツの子どもに自分の可能生を信じ、諦めないでほしいと願っています」という気持ちで、彼らに伝わるようにポ語で挨拶したという。
今の日本らしい感動的な卒業式の一場面ではないか。
「外国人児童・生徒は国際人材の原石」と考えれば、静岡県はまさに〃人材の宝庫〃だ。100人目、200人目の「宮城さん」が生まれることで日本企業が世界に羽ばたきやすくなる。そんな発想を日本人みなが共有し、産業界もしっかりと支援してほしい。
「国際人材の〃原石〃が、日本のあちこちに半分埋もれながらもキラキラと輝いている。掘り出されて磨かれるのを待っており、いずれは日本の将来を支える日系人材がそこから生まれる」―もちろん帰伯した日本育ちのデカセギ子弟も同様だ。そんなイメージを当地の日系社会にも抱いて欲しいと切に願う。
読者の皆さん、良い新年をお迎えください。(深)