「夫にプロポーズされたときのことを話していると、ドキドキした感情まで思い出すわ」。嬉しそうに話すのは、あけぼのホームに入居する小沢ハルコさん(仮名、84)だ。あけぼのホームはサンパウロ州グアルーリョス市にある援協傘下唯一の特別養護老人施設で、高齢日系人を中心に42人が入居する。16年6月からJICA青年ボランティアとして活動する増田愛さん(31、福岡県)は、同施設に初めて派遣された作業療法士だ。従来からの身体機能回復のためのリハビリ指導に加え、心理療法「回想法」を用いて入居者の心理的安定を支援する新しい取り組み行っている。
同施設の入居者の多くは、身体運動機能や精神心理機能の障害を持っていて、日常生活での支援を必要としている。
増田さんが専門とする作業療法は、入浴や食事など日常生活の動作や、手工芸、園芸及びレクリエーションなどの作業活動を通して、身体と心のリハビリテーションを行う。入居者のほとんどが車椅子を使用しているので、座っていてもできる体操、音楽や書道などのレクリエーション指導が中心だ。
増田さんは活動2年目から「回想法」という心理療法を実施している。これは入居者から人生の歴史や思い出を聞くことで、記憶力の維持、豊かな感情表現などに効果があるとされる。
始めたきっかけは、増田さんが入居者と日本語で会話している様子を見た職員から「あの人は普段すごく無口なのよ」と驚かれたこと。
入居者はほとんどが一世で日本語を話したがっているが、施設職員は大半がブラジル人で話せない。同施設で回想法が行われた先例は無かったが、「回想法なら治療をしながら日本語を話す機会を作れる」と考えた。
現在、比較的障害が軽度な8人を対象に回想法を行う。そのうちのひとり、小沢さんは60年以上前に夫にプロポーズされたときのことを話した。「話していると記憶が蘇ってくる。プロポーズされたときすごく嬉しかった。懐かしいわ」と顔をほころばせた。
増田さんは今後、聞いた情報を元に入居者同士が交流する仕組みを作りたいと考えている。言葉の問題から、職員が入居者の間に入って会話を促すことができないからだ。
増田さんは「移住してきた方々には共通する苦労や思い出がある。入居者同士の交流が深まれば『良い人たちに囲まれている。ここは落着ける』と感じて心理的な安定につながる」と話す。
増田さんの任期は今年6月まで。抱負を尋ねると「回想法で集めた情報を活用すれば、その方にあったケアができる。他の職員や入居者のご家族に情報を共有することで個別ケアに役立てたいです」と力強く語った。
□関連コラム□大耳小耳
あけぼのホームで活動するJICA青年ボランティアの増田愛さんは、毎日夕方に「どんぐりころころ」などの日本の童謡を歌うレクリエーションを実施している。活動を始めて1年が経ったころに「音楽であれば言葉を超えて交流ができる」と考え、ブラジル人職員の参加も提案。アルファベットのルビ付き歌詞カードを用意した。職員らは最初こそ苦労していたが、日を重ねるごとに歌うことに慣れ、今では歌詞を覚える職員も。増田さんが休みの日に、職員が自主的にレクリエーションを行ったこともあった。増田さんは自分が帰国した後も続くよう、より一層の定着を目指しているとか。
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職場で「シンパチカ」(親しみやすい)と評される増田さん。ブラジル人職員から「アリッセ」のニックネームで親しまれている。取材当日は偶然にも増田さんの誕生日で、昼食時にサプライズのケーキが運ばれてきた。バースデーソングとハグで祝福された増田さんは、「みんなの優しさが嬉しいです」と笑顔で話す。同施設にはかけがえのない存在となっているようだ。