それからというもの、度々広島県人会に顔を出しておしゃべりした。いかにも善良そうな笑顔の良いおじさんでコロニアの昔話が得意で、なんでもご存じだった。
あるとき、五コント札を小さくしたいけど、どうしたらよいか聞いた。
「すぐ近くのあの角のバールに行ったら、カイシャ(出納係)と書いたところがある。そこでトロッカ!(両替して)と言ってお札を出したらいいんだ」トロッカ!に力を込めて怒鳴るように彼は言った。
「そんな、一言でいいの?」
「そうだ」
「でもねー、日本語だったら、すみませんがこのお金を小さくしていただけませんか、っていうでしょう。ブラジル語では、なんて言うの?」
「トロッカ、だよ」彼は又、トロッカに力を込めて言った。
「へー。たった一言なの?」
「そうだ、一言だ。ブラジル語は簡潔簡単なんだ。ごちゃごちゃ言わん。言ってごらん」
「トロッカ」
「だめだ、もっと腹に力を入れて」押岩さんは威張って言った。
「トロッカ」私は今度は怒鳴るようにいった。
「うん、それだ」
なるほどバールの片隅に箱のような場所があって頭上にカイシャと書かれてある。その中に男が一人入って会計をしている。周りにはタバコ、駄菓子が所狭しと積んである。
五コント札を出してお腹に力を入れて「トロッカ!」怒ったように声大きく一言いうと、あーら不思議、本当に一コント札が五枚、目の前に並んだ。
押岩さんの言ったことは本当だった。
ブラジル語は簡潔、ごちゃごちゃ言わない、丁寧語、へりくだり語、何もない。長ったらしい文章も一言で済む。簡単簡潔。
すっかりこの国が気にいった。
4 懐炉が二つ
隣に住むロシア人のおばあちゃんが病気になったと聞いた。大きな体の人で、もう七〇歳に近いが身長は一七〇㎝以上もあった。若い時はどんなに大きな人だったのだろうか。働き者のおばあちゃんが病気になるなんて考えられない。さっそくお見舞いに行った。
暖かい日だった。おばあちゃんはシーツを胸から下にかけたままベットに横になっていた。お腹のあたりがぽこっと膨らんでいる。どうして?
ははーん、寒気がするとロシア人も懐炉をするんだな。長方形のアルミ製、中に懐炉灰(練灰)が一本入っているはず。もしかしたら私の母のと同じものかもしれない。
おばあちゃんの呼吸とともに懐炉も上下に動く。ア、おちそう…大丈夫?
そうやっておしゃべりしている間中、ずっと懐炉はもぞもぞと動いていたが、お腹からずり落ちることはなかった。上手にとめてあるらしい。
しばらくおしゃべりしたが、病人をあまり疲れさせるのは良くないからと、おいとました。
おばあちゃんは盛んにもっといたらよいのにと言ってくれたが、私が椅子から立ち上がると、おばあちゃんは無理して体を起こしてベットに座った。