その時、あれ! 懐炉が二つになった! お腹の上に張り付いたようにもう一つ並んだ。よほど寒気がしているんだわ、二つもつけて。お気の毒に。長居してごめんなさいね。 家に帰ってしばらくして気が付いた。
あれはおっぱいだった! 懐炉じゃあなかった。「垂乳ね」だったのだ。それにしても若い時の胸はさぞやさぞや。
5 靴
近所には外国人の家族がたくさん住んでいた。ロシア人、オーストリア人、アメリカ人、スイス人。ある日、散歩をしていると大きな白い二階建ての家の前庭にたくさんの人がいる。パーティーではなさそうだし、かといって何かもよおし事でもない。よく見るとガレージセールなのだ。
ここの家族がアメリカに帰ることになったので、使っていた家の中の品物を全部売りに出している。
台所には昨日まで使っていたような食器、コップ、よごれたまな板、スプーン、ほうろうが剥げたやかん、なべ、ありとあらゆる古物が並べてあった。これ買って行く人があるのかと思うような品が並べてある。日本人なら恥ずかしくて捨てるにちがいないものが堂々とならべてある。
ヒビの入った食器もある。物を大切にする民族なのか、なんでもお金にしてしまう経済観念のある民族なのか、どっちだろう。
捨てるのもめんどくさいから、まずは並べているのかもしれない。何もかもすべて並べてある。 それを来たお客が一つずつ手に取って値段を見ている。安いのだ。新品の十分の一くらいなので、それなら少々のことは目をつむって買おうかしらと思うような値段で、結構どんどん売れてゆく。
寝室に入ってみた。ブラジルでは不要な毛皮のコートも並べてある。家具、シーツ類、ハンドバック、靴、そして、何と大きな大きな五〇号くらいの革靴が、片方だけ売っていた(値段が付いていた!)。こんな大きな足の人は滅多にいない―となると店には売っていない希少価値なのか。
まして片方失くした人にとっては…どうやって失くしたのか知りたいが…ともかく片足といえど売れるんだ。
アメリカ人てケチなの? それとも親切なの? こういうのを合理主義っていうのかしら?
6 トイレット・ペーパー
夫の勤めている会社はルア・サンベントのビルの中にあるコンサルタントの会社である。そこに五?六人の日系人が働いていた。一九六五年のころ。
ある日私は何の用事があったのか忘れたが、事務所の応接間で夫の仕事が終わるのを待っていた。そこには先客があった。
黒っぽい背広をぴしっと着て、端正な顔立ちの人で、真面目さが体中から匂っている、品行方正を絵にかいたような殿方だった。
しばらく仕事の話をしておられたが、区切りがついたようだった。すると「トイレを借ります」と声を大きくしてその方は言われた。
「どーぞ」元気よく女の事務員が言った。
するとこの男性はやおら傍に置いていた黒い皮のカバンを開けて、そこからまっ白いトイレット・ペーパーを一巻き取り出した。