収容所での食事は1日2食、1人1枚食券を貰い、配給所に並んだ。食事は日本兵が作り、1人ずつ渡していた。
収容所に着いて数日経った頃、配給待ちの列に並んでいた半沢さんは隣の列の男が気になって仕方なかった。男は海軍の制服を身に着けていたが、寒そうに毛布で全身を覆っていた。
男の顔を見ようと前に出ると、「おう、友!」と男に呼ばれた。父の周作だった。
父は栄養失調のため悪性マラリアに掛かっていた。そのため常に悪寒に襲われ、毛布を纏っていた。
友三郎さんは母が亡くなったことを父に告げた。驚いた父は「んぁっ!?」という声を上げ、ショックで一瞬息が止まったようだった。間を空けて「他には?」と聞かれ、父と別れてからのことを話した。
話を聞き終えた父は「もうお前ら誰か一人が助かって、半沢家の血が続けば良いと思っていた」と呆然とした様子で語った。
母が死んだ日、父にも不思議な現象が起きていたそうだ。
海軍兵らと夕食を囲んでいた夜、虻が自分のところに飛んできた。払っても払っても戻ってくるため、「悪い知らせか」と感じた父は誰かが死んだと思っていたそうだ。
父はマラリアのため、収容所の端の一人用のテントで寝ていた。父は「お前ら病気が伝染るから、来るんじゃないぞ」と半沢さんに伝え、別れた。
孤児院に保護されている子供の知り合いがいれば、その人が子供を引き取らなければならない。父が孤児院の係員に頼みこんだこともあり、半沢さん達は孤児院で過ごした。
ある日半沢さんは妹の友栄が従兄弟と一緒にいるところを見かけ、ほかの兄弟と一緒に2番区に収容されていることを知った。父の弟にあたる叔父とその家族が面倒を見ているようだった。
昼食時に兄弟の様子を見に行くと、叔父家族から昼食を分け与えてもらうのを待っているところだった。叔父家族は全員分の食事を一つにまとめ、最初に好きなだけ食べていた。
次に残ったものが半沢さんの兄弟に与えられた。皆我先にと食べるため、2歳頃だった末っ子の千四郎(ちしろう)は最後になってしまう。千四郎は配給された缶の中の何分の一という、ほんの少しの食糧を一息で食べていた。
そのうち千四郎が便意で震え、叔父嫁が煩わしいと怒り始めた。怒られた千四郎は我慢していたが、結局漏らしてしまい叔父嫁に叩かれていた。
半沢さんはその時のことを思い出し、「区画が違い、米軍の見張りもある。連れて帰りたかったが諦めた」と呟いた。(つづく、國分雪月記者)