この帆布のハンドバックの中から、色変わりした手紙、何か重要書類らしいもの、印鑑、領収書、母が父からもらった唯一のヒスイの指輪などが出てきた。
そうして最後に小さな黑い石が出てきた。
黑くツルリとした親指くらいの石。油を塗ったように黒く光っている。真ん中が少しへこんで、まるで子供の靴のような形をしている。あの派手好きな母が大切にしていた品? こんな石が特別? まさか。
母は石が好きな人ではあった。特に庭石、石灯篭、手水鉢などには好みがうるさく、家を建てた時など大変な情熱を注いで、私は石が大好きなのよ、といったことがあった。
かといって、路傍の石ころに興味を持つ人では決してなかった。まして拾う人でもなかった。
父からのプレゼントではないはずだ。もしそうなら母のことだ、こんな道に落ちているものを呉れて、と言って激怒したであろう。友人からでも同じこと。
それでは自分で拾ったものだろうか――。
あの豪華好き、買い物好きの母がこんな泥臭い石ころを大事にしていたなんて、どんなに考えても腑に落ちない。その上、あの昔々の大切な思い出のハンドバックの中に入れておくなんて。
何があったのだろうか?
これまでの母の派手さ、虚栄心の強さに私はいつも批判的で、母と私の間はしっくりいかないことが多かった。しかし今、手の平に乗ったこの飾り気のない素朴な小石を見て、母にこんなところがあったのかと、今まで味わったことのないこもごもとした感情がわいた。
いよいよブラジルに帰る日が来た。
お母さん一緒にサンパウロに行こうね、そういって私のハンドバックにこの石を入れた。
旅の途中で時々取り出してそっと撫でてみる。「お母さん」と呼んでみる。心が落ち着いてまた力が湧いてくるような気がする。
もしかして二人で中国に行った時のものかもしれない、と思うようになった。なぜかわからないが段々と確信するようになった。そして今また一緒に旅行している。これからどこに行きたいの?と聞いてみる。母はフフフンと笑っている。その時、母の後ろに祖母が笑っている顔が見えた。
あっそうだ、祖母が拾ったものかもしれない。祖母ならやりそうなことだ。とても子供っぽい人だったから。道の小石に手を伸ばして「面白い石ですのお」と独り言を言いながら袂に入れた。
それっきり忘れていて、死後、母が見つけたのかもしれない。きっとそうだ。
私が高校生の頃、祖母は家を出ていった。そして遠い親戚の家で亡くなった。総領娘である母が連絡を受けたのは葬式が終わったずっと後のことだった。
母の心はいつまでもいつまでも傷んでいた。
そうだ! きっとそうだ。あれは祖母の唯一の形見なのだ。
誰にも見られたくない、見せたくない悲しみの石なのだ。
つやつやと黒く光っているのは、度々母があの石を両手でさすりながら、祖母と話をしていたのではないだろうか。
今、母の思いがけない一面を見つけて、いとおしい気持ちがわいてきた。
「お母さん、やっぱり好きよ」と石を見ながらそっと呟いている。
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