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《ブラジル》トニア・カレロ死去 多岐にわたって長く活躍の美人女優

リオ市立劇場で行われたトニア・カレロの葬式の様子(Tânia Rêgo/Agência Brasil)

リオ市立劇場で行われたトニア・カレロの葬式の様子(Tânia Rêgo/Agência Brasil)

 ブラジルの演劇や映画、テレビに70年もの間、活躍を続けたトニア・カレロが3日、リオの病院で加療中に心停止を起こし、亡くなった。95歳だった。5日付現地紙が報じている。
 1922年にリオで生まれたトニアは、20代前半に画家のカルロス・アルトゥール・ティレーと結婚。彼についてパリに渡ったが、そこで演劇を学び、帰国後の49年にサンパウロ市の劇団「テアトロ・ブラジレイロ・デ・コメジア」に入り、本格的な女優業をはじめた。
 すると、1950年代からは映画界からも声を掛けられるようになり、人気俳優アンセルモ・デゥテルテの相手役をつとめた「チコ・チコ・ノ・フバー」の演技や、自身の主演作となった「アパシオナッタ」の演技(共に1952年)で注目された。以後、50~60年代は映画の主演級女優として活躍した。
 また、当時は並行して舞台女優としても名をはせ、シェイクスピアの「オセロ」のような伝統的なものから、68年に上演され、軍事政権の検閲にあった問題作「ナヴァーリャ・ナ・カルネ」での娼婦役が当たり役となった。
 また、70年代以降になるとグローボ局のノヴェーラでも顔なじみの存在となり、「アグア・ヴィーヴァ」(1980)、「ロウコ・アモール」(1983)などのヒットに恵まれた。
 若い頃は美人女優の代名詞的存在でもあったが、女優寿命も非常に長く、80歳を超えても現役を続けていたが、この10年ほどは体調を崩していた。