それは直径、三?四mくらいの山のような茶色い塊が時計と反対方向にゆっくりと回っている。丁度チベット人が持っているマニ車みたいな形である。近づいてゆっくりよく見ると、生きた蛇が絡まりあって、大きいの小さいの、長いの短いの、太いの細いの、もごもごとうごめきながら巨大な塊となって回っているではないか。壮観。もちろん夢は総天然色。
「へー。ぜんぶ蛇だ」私は気持ち悪いという感覚もなく怖くもなく、しばらくこの塊をじっと見ていた。ところが何を思ったのか突然私はこの塊の中に両手を入れて、よいしょと中から一匹引っ張り出した。小指くらいの細い小さな薄茶色のかわいらしい蛇。これをベルトのように腰に巻いた。
そこで目が覚めた。
なんでも大きいものが好きなのに、怖かったわけでもないのに、どうして大きな蛇を引っ張り出さなかったのだろか。あのとき大蛇もいたのに。意気地なし、自分は意外と気が小さいのだ、イヤイヤただ単に気が弱いのだ。いつまでも後悔した。
しばらくして気が付いた。
これからのブラジルで私が受ける「幸運の量」は、細いベルト一本分なのだ。どんなにもがいても私が貰える「分」の大きさ、量、重さはもう決まっているのだと。
あれから四〇数年たった。
まことにあの夢は正夢だった。あの山のような塊の蛇を見たときが、まさしく「わが運勢の岐路」だったのだ。
あの時、大蛇を引っ張り出して体に巻いておればブラジルでの人生は万々歳、人もうらやむ大富豪…のはずだった。それがこともあろうにブラジルに来て私の受けた幸運の量は、丁度あの細いベルトの大きさだったのだ。
今更どんなに地団太踏んでも後の祭り。ああしまった。ナサケナイ。
ところでヘビも夢を見るのだろうか。あの私が引っ張り出したヘビだって、夢の中で、「やれやれ小っちゃな女に引っ張り出されて、それで運勢が悪くなった。もしあの時、大女に引っ張り出されていたら、わが蛇生も大いに変わっていただろうに。今頃は大原始林の中で腹いっぱい食べて、悠々と寝そべっているはずだった。あーナサケナイ、ナサケナイと地団太踏んだに違いない。
(マニ車:主にチベット仏教で用いられる宗教用具。赤ちゃんの使うガラガラの様な形で、円筒形で側面にマントラが刻まれている) (二〇一二年)
私にとっての「移住」
広島の生活は窮屈だった。一歩家を出ると知人友人に何人も出会う。すぐ母にニュースが届く。挨拶の仕方から洋服に至るまで観察されている。何を言われても構わないが、いつも監視されているようで「わずらわしい」。代々この広島に住んでいるから、何事につけ目が多いのは致し方なくても、みんなの暇つぶしの「さかな」にされるのは、たまらない。
それ以上に家の中はもっと息苦しかった。
長女に生まれた私はどこに行っても「跡継ぎ」であり「総領娘」であり「養子とり」で、ちやほやされたが、密閉した箱に入れられたようで息苦しい。いずれは母と同じように婿養子を迎えて、母と同じ一生を送るのかと思うと憂鬱である。着るものも、履くもの身につけるもの、それから物の考え方まで母から押し付けられ、何をするにも規律があり規則があり順番があり、食事の時、政(まつりごと)の時、親戚付き合いの時、常に私は「総領」でなければならない。