しかし、本当はなくてよかった。あったら今頃はどこに隠そうか、どこに並べようか、私が死んだら誰に残そうか、と頭を痛めるに違いない―――と虚勢を張ってはいるが、本当は愚痴半分、くやしさ半分から抜けきれないでいる。
神隠しにあってなくなった首飾りの事を友人に話したら、いたく同情してくださって、インドネシアのバリ島から古いとんぼ玉の首飾りを、もう一人はエクアドールから発掘品の土器のビーズを届けてくださった。
持つべきは心やさしき友。感謝している。
今、この友の気持ちこそ「愛しみて固く秘す」。
(二〇一〇年)
女神イシュタルの像
かれこれ三〇年も前のことシリア人の骨董屋を訪ねたことがある。目鼻立ちの美しい青年が一人で住んでいた。彼は部屋いっぱいに品々を並べて、「父がシリアで骨董屋をやっていまして、ブラジルで骨董屋をやろうと言って船で色々持ってきましたが、父はブラジルよりやっぱりシリアがいいと言って帰ってしまい、僕ひとりでこれを売りさばいているのです」とぼそぼそと真面目な顔をして言う。家具あり、装飾品あり、絵あり、絨毯あり、なんでもあったが私には興味のないものばかりだった。
しかし、その時目についたのがテラコッタの均整のとれた女性の像。いかにも発掘品らしく全体に泥が付いている。
「これは何?」と聞くと、彼は困った顔をして「さあーおやじに聞かないと…」と言うだけで何の答も帰ってこない。
「どこから出土したの?」と聞いたが「シリアはどこを掘っても何か出てくるからなぁ」と頼りないことをいう。
「これこそ模造品だよ、こんなに泥を付けて。いかにもわざとらしい」と夫はいう。
「いつ頃のものかしら?」
「四〇〇〇年前のものです。おやじが話してました」これだけは自信ありげに言った。
「へー四〇〇〇年前に頭にヘルメットをかぶり、耳にイヤホーンをつけ、両手で花瓶を持って、体にぴったりとしたブラウスに襞の付いたロングスカートをはいた女性がいたという訳ね」あまりにも時代考証がめちゃくちゃではないか。偽物だったらこんなバカなものは作らないはず。
もしかしたら、何か意味があるの…?
でも私はこれが気に入った。どこが?と聞かれてもわからない。不思議な魅力があって置いて帰りたくなかったという事だろうか。この見るからに怪しげな発掘品を買って帰った。
あれから何年経っただろうか、誰に聞いても「シリアの物? 馬鹿だなーあの辺の発掘品は偽物ばかりだよ」と言われる。やっぱり駄目なのかなー。
シリア人が持ってきたのだから中近東のほうの物だろうし、歴史の古い国だから何が出てきてもおかしくはない。ましてこんな泥人形はいくつでも出てくるのだろう。グズグズと心の中で思いを巡らし、時々「あなたはだーれ?」と話しかけてみる。
― 壺を持って何しているの? あなたは水汲み女?…それにしては壺が小さすぎる。
― 頸飾りが立派だから、やはり貴女は高貴な方に違いない。
― この服は古代人のものではない。えらく近代的ね。どうもアンバランス。
― どうして首の後ろに箱をつけているの? 髪飾りではない。