夕方パラチの別荘に着いた。外から見るとごく平凡な背の高いコンクリート塀があって、その真中に大きなペンキのまだらにはげおちた厚手の木製の二枚扉がある。青みがかったネズミ色の扉。しかしこのまだら加減がパラチという古い町によく調和しているから不思議だ。いかにも昔からの由緒ある家族が住んでいるといった風情である。
ベルを押しても誰も出てこない。
ゲッティはハンドバックから二〇㎝もありそうな鉄の鍵をとり出して、ガッジャンと大仰に音を立てて開けると、車をいれた。その頃になるとやっと頭髪がちりちりして白髪頭の庭番の男が、眠そうな目をしてやってきた。
庭の木々はよく茂っており手入れが行き届いている。 奥にあるレンガ作りの二階建ての古めかしい家。…んん?
さっきのはげかかった扉…家も扉もわざと古めかしく見せているのだ。家全体がアンチーク様に統一してある…なんという憎き演出。
兄上は趣味にも仕事にも完璧主義なのだ。きっと女に対しても。だから長持ちしないわけだ。家の中に入って驚いた。応接間にクリスタルのシャンデリアが下がっているではないか。
「バカラ?」
「そうよ、兄がすごく自慢していたものなの。でもこれも売るの。愛が無くなるってこんなものかしらね」
なんといってもこの家のタイルの素晴らしさには目を見張った。どこで集めてきたのか…たぶん教会からだろう。白地に藍色の一八、一九世紀の手描きのタイルがあちこち額にしてかけてある。壁にはめ込まれている。
一九七〇年ころ、私達家族はレシーフェ市から奥地に車で旅したことがあった。小さな村に着いたら、村の真ん中に公園があって膝までの草がぼうぼうと生えていた。その突き当りに小さな教会があった。戸が閉まっていた。壊れたガラス窓からのぞくと中はがらんとして何もない。
村の人に聞くと「パードレ(神父)が、中にあった聖像、しょく台、タイルまでもはがして何もかも売って夜逃げした」といった。本当にそういうことがあったのだろう。
そのあとでサルバドールの有名な教会を訪ねたら、パードレらしき人がとても親切に中を案内してくれた。丁度改装中で壁のタイルが大量にはずされて床に山積みになっていた。一八世紀の手書きのタイルで白地に深い藍色の塗料で絵がかいてある。
「良いねいいねえ、さすが一八世紀のタイルは色が違う」とやたら感嘆詞をあげていたら「そんなに気に入ったのなら持って行って良いです」とパードレがいう。「まさか」
あっけにとられていると「欲しいだけ持って行きなさい」と盛んに勧めてくれる。
「でもこれはいくらなんでも恐れ多い、文化財に近いものをもらうわけにはゆかない」といって辞退したら、パードレはひどく怪訝な顔をして最後には機嫌が悪くなった。
車で行ったんだから、少しもらってもよかったのに…どうせ私たちがもらわなくても次に来た人の手に渡ってしまったはず…あァしまったしまった、と散々後悔した事がある。
こんな事もあるから、この家のタイルも然るところから出たものに違いない。
応接間から三つのアーチ型の戸があり、そこからベランダに出る。ポンペイの遺跡を思わすようなレンガつくりの建物。
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