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最高裁判事への注目度が極めて高いブラジル

4日の最高裁(Felipe Sampaio/STF)

4日の最高裁(Felipe Sampaio/STF)

 4日、多くのブラジル国民が固唾を呑んで見守った、最高裁でのルーラ大統領に対する、逮捕逃れを目的とした人身保護適用か否かの審理。この模様は最高裁から動画チャンネルのユーチューブを通じても生中継され、コラム子も含め多くの人がかじりつきとなり、ネットのニュースサイトでは最高裁判事が何か発言するたびにコメント欄がかなりのスピードで更新されて行った▼「罪をおかした人であれば、たとえ実績があり、次の大統領選で人気ナンバーワンの人物でも逮捕して処罰するべきか」。そんな難しい判断を、たった11人の判断で任される最高裁判事のストレスを考えると、「こんな緊張、果たして自分に耐えられるか」と思ってしまうほどの重労働だと思う。判事たちには敬意を込めて「ごくろうさま」と言いたい▼それにしてもブラジルでは、彼ら最高裁判事の名前が幅広く知られている。テレビや雑誌などを見ていても、彼らの顔をきわめて日常的に見かけるし、場合によってはトップ記事や表紙を飾ることさえ珍しくない。そうしたこともあり、今回のような審理においても、多少ニュースに関心のある国民なら「この判事は政治家に甘い」「あの政治家は労働者党(PT)寄りだ」など、その人となりや裁きの傾向まで把握されている。その知名度で言えば、大臣になって年数の浅い政治家などよりは遥かに上と言っても言い過ぎではない▼現在のようにブラジルで最高裁判事が注目されるようになった大きな契機の一つは、2012年のメンサロン裁判だ▼この裁判では、2003~06年の最初のPT政権が連邦議会のルーラ政権支持を賄賂と引き換えに獲得しようとした贈収賄工作が裁きの対象となり、元官房長官や元下院議長をはじめとした多くの政治家たちに実刑判決が下された。それは「政治家に甘い」とされていたブラジルの司法史にとって画期的なことであり、ブラジル政治の腐敗の伝統に飽きていた人たちが快哉を上げて喜んだ▼そうしたこともあり、ブラジルの最高裁判事たちは尊敬の眼差しで見られるようになり、いわば「国のモラルの最後の砦」のような見られ方もされている▼こうした側面は、どこかの国のように、最高裁判事の信任投票が求められても「顔も名前も聞いたことがない」というのが当たり前で、その一判事が「現行憲法の解釈での集団自衛権は違法」と発言した際にネット上で「たかだか判事のくせに生意気だ」などという世論が平気であがっていたのとは大違いだ▼ただ、とは言え、最高裁判事がすべて聖人かというとそんなことは全くない。今回の審理も、昔ながらの、政治家に頭の上がらない判事が少なくないために起こった問題で、それゆえに国民の注目も高かった。「ここがダメなら、もうこの国はおしまいだ」と、焦りに駆られる人たちも珍しくなかったほどだ。今回の審理は、国民の最高裁への期待感が保たれた形で何とか終わった感じだ▼奇しくも最近、動画配信サービス、ネットフリックスではじまったブラジルのオリジナル・ドラマ「オ・メカニズモ」でこんなシーンがある。このドラマはPT政権で実際に起こったとされる政治スキャンダルを、架空の名前に変えて描いたドラマなのだが、そこでルーラ元大統領をモデルにしたイジーノなる元大統領がこんなことを言う。「最高裁さえ抑えておけば良いのだ」。今のブラジルにとってはなんとも意味深なセリフだ。(陽)