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日本の若者、ブラジルで何を得た?=交流協会の研修生体験記=第5回=疲れた顔をしたサラリーマンになるのは嫌だった 大島和也

大島和也さん

大島和也さん

大島和也さん(兵庫、24)。ブラジルヤクルトで研修。趣味はスキューバダイビング、釣り、アメリカンフットボール。

 私は兵庫県尼崎市で育った。私は尼崎の人々の自由な気質は大好きだが、犯罪発生率の高さもあったりして周辺地域からの評判はあまりよろしくない。尼崎は工業地帯として有名だが、実は少し北へ足を伸ばせば、猪名川や妙見山など豊かな自然がある。子供の頃にはよくその辺に遊びに行き、自然が大好きになった。思えばこの頃から、ブラジルには漠然とした憧れを抱いていた。

 自由な町でやんちゃに育ち、高校時代はサッカーに打ち込んだ。大学時代にはアメリカンフットボールと出会い、関西選抜に選ばれるほど熱中した。「生きることは好きなことをすることだ」と思っていたし、スーツを着て疲れた暗い顔をしながら電車に乗ってるサラリーマンを見るにつけ、「彼らは幸せなのだろうか」と真剣に思っていた。

 大学卒業を控え、将来について考えたとき、みんながしているからと一緒になってなんとなく就職活動をして、疲れた顔をしたサラリーマンになるのは嫌だった。

 「ちゃんと仕事につけ」と家族はうるさかった。心配してくれているのはよくわかるけど、結局は「自分の人生」だから、譲れないところもある。世間の同調圧力に辟易としだした頃、「自由になりたい」と思った。

 そして、一番自由な所を探した。実家を出て、大阪や東京に行けばとりあえずの〃自由〃は手に入るけれど、外国のほうが「日本的な規範意識」からさえも自由になれると思った。

 外国で生きることを考え始めたとき、ブラジル日本交流協会の存在を知った。雄大な自然と陽気な人々の住む国ブラジル。みんな自由に生きてるんだろうなと思った。

 日本に居て知るブラジルのニュースは、治安に関する悪いニュースばかりだけど、日本にいても危ない目に会う時は会う。だから、その点は何も問題ない。

 大学卒業後、交流協会に応募し、ブラジルヤクルトでの研修が始まった。研修では、地元のヤクルトレディーたちに同行して、色々な地域を回った。沢山の人と出会う内、ブラジル人はみんな自由に生きていると勝手に思っていたけど、実際はそうでもないことを知った。

 「周りにあわせなきゃいけない」という日本的な不自由さは、たしかに少ない。だけど、不安定な政治や経済への心配事は尽きないし、治安に関しては生死に関わる切迫度が日本とはケタ違いで、むしろ不自由極まりない。

 頭の良い人ならば、こんなことは日本にいても予想がついたことかもしれない。だが、私は身をもって知る事が大事だと思っている。身をもって知る事によって、ブラジル人の優しさと明るさにも気付くことができた。

 道に迷っていた時、遠くから声をかけて助けてくれた。目的地まで案内もしてくれた。日本でそんな経験は今まで生きてきた中で一度も無かった。困っている人には自分から手を差し伸べる、それがブラジル人だった。自分で体験しなければわからないことは本当に沢山ある。

 ブラジルに着いた時は友達ができるか心配してたけど、アメリカンフットボールのチームに入ったら、チームで唯一の日本人だったし、ポルトガル語もろくに話せないからとても目立つ。みんな興味をもってくれたし、心配して助けてくれた。言葉じゃなくて、プレーで心を繋げることが出来ることも知った。

 彼らとはライブやフェスタ、シュラスコに何回も行った。旅行にも行った。彼らのおかげでほんとうに楽しく生活を送ることができたし、彼ら無しではこんなに良い研修生活は過ごせなかったと思う。

    ◎

 研修を終えて日本に帰ってきたが、自由に生きることへの憧れはまだちゃんとある。けど、私が出会ったブラジル人達のように、不自由な環境の中でも優しく明るく生きられたら、それはとても幸せなことだ、と今はしみじみ思う。

 憧れのアマゾンには行けなかったけど、沢山の自然に触れて、やっぱり自分は自然の中で生きていきたいと思った。

 大好きなスキューバダイビングの仕事に就く道のりは遠いけど、将来は自分のダイビングショップを持ちたい。帰国後、伝手を辿って沖縄でダイビングの修行をすることも決まった。

 ブラジル人のように周りのことはあまり気にせず、自分の幸せを貪欲に求める生き方を、日本人ももっと学んで良い気がする。ブラジルでの体験を活かして、私もできる範囲で人生を楽しんでいきたい。それが、幸せになるためには大事だと思う。