「貴女の応接間に飾ってあげてほしいんだけど」と言うと、女はキョトンとした顔をして、首を少しかしげてエッ?と言ったようだった。
「これはお母さんの心、お母さんの魂よ。売ったりしないで。……お母さんを思い出してあげて」と心をこめて言うと、女は眼を大きく見開いてじっと私を見つめて、それからしばらくして眉間に小さなしわを作って下を向いた。
それだけ言うと、私は返事を待たないで逃げるようにしてその家を出た。西の空が真っ赤。燃えるような美しい夕焼けの日だった。
それからというもの骨董市に毎週顔を出したが、あのコーヒーカップのコレクションはどこにも見ることはなかった。なぜか女の穏やかな笑顔が目に浮かんだ。
他人ごとではない。日々年を取って行く私にも起こりうること。心の隅に今から「孤独」と立ち向かう用意を始めておかなければいけないのだ。悲しく淋しいことだけど。
(二〇〇九年)
第六章 骨董を探して旅に出る
十ドルの水(アメリカ)
娘とニューヨークに行った。ブラジルに帰る間際になってから、やっぱりマンハッタンにある、あの有名なジョジョというレストランに行ってみようと言うことになった。
ケチったってどうせ持って死ねないんだから、美味しいもの食べたほうが良いわよね。言い訳をして出かけた。
いかにも老舗と言った風情の落ち着いた建物で、中に入ると青と白の縦じまの絹の壁布、小さな部屋ごとに下がっているシャンデリアはクリスタル、さすが風格がある。
メニューを持ってきたウエイトレスはアメリカにしては珍しいほどの美人で、値段の高いところは「それなり」のを雇っているんだねえと、田舎者よろしくじろじろ見ていると、「お飲み物は?」と落ち着いた声で丁寧に聞く。
「水をおねがい」
そう言って二人分の水を注文した。とてもワインなぞ飲めるような財布は持っていない。しばらくすると、少し大きめのペットボトルに入った水を二本持ってきた。
「まあ。せめてガラスの瓶入りを願いたいじゃあないの、名の通ったレストランなんだから」と悪口を言いながらボトルを手に取ってみると、青色のラベルに大きくフィジーと書いてある。
「あれ、これフィジーの水じゃあないの」。南太平洋に浮かぶ三〇〇以上の火山島とサンゴ礁からなるフィジー諸島。抜群の透明度があると言われる紺碧の海が目に広がる。ああ一度行ってみたい。大自然に囲まれた美しい島の水。きっと特別おいしいに決まっている。
ゆっくりと一口飲んだ。無味無臭。嫌みのない水であった。が、山奥の清水を飲んだ時に感じるあの甘さはなかった。
もちろん魚料理はおいしかった。アジア料理だが、控えめに生クリームも使ってあってフランス料理に近いような、まろやかな仕上がり、塩分控えめ、色彩にも配慮され品の良い立体的な盛り付け、私たちは水を飲み飲み食事をして充分リッチな気分。こんな時は何を話しても心浮き浮き楽しくなる。
さて、お勘定。請求書が来た。
「んん!」娘が目を丸くしている。
「どうしたの?」