WILL株式会社が主催する「第2回チャリティーコンサート」に出演するため、演歌界の大御所・美川憲一さんが10日、当地に到着した。サンパウロ市のチヴォリ・モハレジ・ホテル内の一室で11日に記者会見が行われ、美川さんは熱く思いを語った。サンパウロ新聞社と藤瀬桂子事務所が実行委員会を作り、サンパウロ市の文協大講堂で13日(日)正午と午後3時から公演を行なう。
「遠いわねぇ。来て良かったわ」。美川さんが姿を現した早々、独特のそんな口調で会見室を打ち解けた雰囲気に変えた。当地公演の誘いが幾度かあったが実現せず、今回同社の依頼に二つ返事で応じるかたちで、待望の初来伯となった。
「大変な苦労を重ね、それを跳ね除けるように生きてきた日本人が沢山いるはず」と日系社会に共感を寄せる。実母、養母を食べさせるために歌手を志し、芸能界の荒波に揉まれながら独特の芸風を生み、しぶとく生き抜いてきた人情家として知られる。
若くして父を亡くした美川さんは、役者の道を捨て、一攫千金を夢見て歌手の道に。デビュー当初は青春歌謡路線で売り出したが全く売れず、嫌々ながら歌ったはずの「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚の大ヒット。ご当地ソングの先駆けに。
当初は一発屋と揶揄されたが、悔しさをバネにしぶとく生きてきた。「個性的でなければ売れない」と言われ、「鏡を見ては『個性的になってやる』と言っていた。そうしたら個性の塊になってしまったのよ」と笑い飛ばす。
幾度もスランプを経験したが「困難を乗越えるのは言葉だ。自分の胸に言い聞かせると、それが叶ってきた」という。「芯はものすごい男。母から『強い子だ』と言われて育った。それが言霊となり、やる気が湧いてきたのよ」と振返る。
今年2月初旬には、左足関節外果骨折で全治3カ月の怪我を負ったが、術後4日目に退院。6日目には車椅子で舞台に立った。自分の体に鞭を打ち、痛みに打ち勝ち、困難を跳ね除けてきた。
そんな美川さんが公演で伝えたいメッセージが「しぶとく生きること」。美川さんは「歌とは人を励まし、互いに最大の力を与えてくれるもの」だという。「沢山の皆さんに私の歌を聴いて、その時代を思い出して欲しい」と語る。
今公演は正午、午後3時からの2回、各回70~90分間。「さそり座の女」など数々のヒット曲のほか、リクエストが多い「生きる」や新曲も披露する。「春待ち坂」の歌詞には「夢に躓き転んでも〈中略〉しぶとくしぶとく生きましょう」との一節がある。
「今を生きる人にとって必要とされるのが、しぶとくしぶとく生きること。健康で元気でいることが何より大事。あなたもしぶとくよ」と日系社会に激励のメッセージを送った。
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美川憲一さんの記者会見には、WILL株式会社の大倉満会長、中井良昇社長も出席。大倉会長によれば、同社は3年前から海外進出をはじめ、10カ国に現地法人を構えるが、「国によって違う習慣、風土、文化があり、日本人の感覚では馴染めなかった」という。そんな折、ブラジル日本移民史料館で日本移民の苦労を知る。「情報化時代でも困難があるのに、想像しても仕切れない苦労をされたのだろう」と思いを馳せた。移民一世が高齢化するなか、「少しでも日本でいるような気持ちになって欲しい」と企画したのがこの慈善コンサート。収益の一部は日系福祉施設に還元される。なお、地方在住者で当日チケットを受取る人は、開演1時間前には受取りをすませること。
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今年は実母の13回忌、養母の23回忌で、出国前に信州に墓参りに行き、ブラジル訪問の報告をしてきたという美川さん。2人の母は「あなたのお陰で幸せな人生だった。悔いのない人生が送れたのはあなたのお陰」だと美川さんに言い残して亡くなったそうだ。13日の公演日は奇しくも「母の日」。〃母思い〃の美川さんは、14日の帰国までの急がしい合間を縫って、日系福祉施設をできる限り慰問する予定だという。