午後から博物館に行ったがここにも何もない。こんなに文明文化のない国を見たのは初めてだ。
しかし、考えてみると一六世紀から三三〇年間スペインの植民地になり、其のあと五〇年間アメリカの植民地になった。独立できたのは一九四六年である。自国の文化を持つ余裕などなかった。求める私の方が間違っていたのかもしれない。
両替屋に行った。一万円は四五〇〇ペソ。小太りの女は愛想笑いをして目の前で五〇〇ペソ札を一枚づつ声を出して九枚数えて、そして呉れた。
手を出して受け取ったら…ラララ???? おどろいた、おどろいた。五枚しかない。「気をつけろ、詐欺の手品師だ」とM氏が怒鳴った。こんな事は初めてで、フィリピンという国は聞きしに勝るすごいところだ。
何を買ってもお釣りを呉れない。何を買っても高くとられる。「ボラれ、吹っかけられ、むしり取られ」と三人で悪口を言う。
これで首都観光は終わり――M氏が大声で叫ぶ。
あれ、たった一日でマニラはお終い? 他に見るところがあるんじゃあないの? しかしM氏は「明日は早いです。早く寝てください、大観光旅行の始まりです」と大に力を込めて言ったきりさっさと自室に引き揚げて行った。
翌朝、レガスピに行くという。バスに乗ると他の客からは二〇ペソ受け取っているが、我々からは四〇ペソとる。周りのお客も知らぬ顔をしている「フィリピン人はタチがわるい」と盛んにM氏が怒っている。しかしタダのように安いからあまり腹も立たない。
どこまでもバナナ畑が続いている。バスの窓からココナツの葉やバナナの葉をたたんで作った屋根、竹を編んで作った壁、粗末な小屋がどこまでも並んでいるのが見える。植物の葉や茎を使って建てられた庶民の伝統的な家は風通しが良さそうだ。湿気をも取ってくれるのだろう。自然の恩恵の素晴らしさを思った。
開けはなされた家々の窓から中が見え、家具らしい家具もなく、しかしどこの家にもテレビだけはある。この小さな家に住人がたくさんいて孤独とは縁がなさそうだ。
国際調査団が二〇〇四年に世界五〇ヵ国の幸福度を調査したらフィリピンが六位になった。アジアでは最も幸せな国民であることがわかった。やはり幸せは物質ではなく、愛の満足度…筆頭は何といっても家族愛に違いない。
バスの座席に置いた水をあっという間に盗られてしまった。「またやられた 」
バスを降りると、この辺の世話役、山田さんが迎えに来て「是非とも会ってやってください。お願いしますよ」といわれて、近くに住んでいる日本人を訪問することになった。
バナナ畑の道をしばらく行くとごく普通の古い平屋。この田舎町の中では中流の家のようだ。
少し太り気味で大柄な、年のころ六七?六八歳の日本人T氏が出てきて、とても嬉しそうに、「待っていましたよ。毎日待っていたんです。どうぞどうぞ」とひっぱるようにして応接間に招きいれた。
玄関には家族が脱いだ靴やらゴム草履が散らばっている。裸足で歩くと気持ちが良さそうな木の床、T氏が作ったに違いない木製のおもちゃのトラック、塗料のおちた応接家具、場違いな外国製の大きなテレビ、マガジンラックに古い日本の雑誌、所々モルタルが?げ落ちている土壁、天井板はなく木組みの上にそのまま瓦が見える。
「いやー、何年振りかナー。日本人が来てくださるのは。やー嬉しいなー」とT氏は心底嬉しそうに、体中から喜びがあふれる子供のような言い方をした。