ホノルル・フェスティバル最終日。朝からパレード集合の午後4時まで自由行動。朝のコーヒータイムも少しはゆっくりで、そう込み合ってはいない。
昼食後、ホノルル・フェスティバル主会場のハワイ・コンベンション・センターに行く。フェスティバルはこの会場の他に近くのアラモアナ・センターでは、10日、11日に日本からの参加団体やグループなどの演舞が行われていたが、スケジュールの関係もあり見ることができなかった。
パレートのスケジュール表を見ると日本からさまざまなグループ、団体が参加している。観光というよりはフェスティバルに参加することが目的のようだ。
ホノルルとの姉妹都市親善訪問団の広島、城崎ねぷた卍會、日本南京すだれ協会、園田学園高等学校(兵庫)女子学生200人、さいたま竜神まつり会(埼玉)、桜魁・劉志乱武(東京)、全日本健康音楽研究会、茅ケ崎市、上智大学応援団チアリーディング部、早稲田大学フラメンコ集団、下駄ッパーズ(東京)、白鵬大学ハンドベルクワイヤ(栃木)、桜丘中学・高等学校(東京)、高崎健康福祉大学和太鼓集団『舞』(群馬)、ハワイ中華総商会(ハワイ)、ハワイ雅楽研究会(ハワイ)、ハワイ神輿(ハワイ)、ハワイ宮崎県人会(ハワイ)、ハワイ芝洲会(ハワイ)、ハワイ沖縄連合会(ハワイ)、ハワイ台湾センター(ハワイ)、ミンナ・一輪車クラブ(ハワイ)、琉球国祭り太鼓ハワイ支部、シン・ヤン・ドラゴン&ライオンダンス協会(ハワイ)、玉城流扇寿会フランシス・ナカチ琉舞道場(ハワイ)など百団体、グループが行進する。
パレード予定大通りでは、早くもグループで写真を写しあったり、ダンスの練習を行う団体など多く集まっていた。
パレ―ドの始まりのオープニング・パフォーマンスは、首都大学東京チアリーディングチーム、早稲田大学フラメンコ集団など13の団体・グループ。続いてホノルル・ポリスのオートバイを先頭にパレードが始まる。全部で67の団体やグループ。ホノルル・フェスティバルの・パレード・バナー、ハワイアンバンドなどを挟んでハワイの沖縄連合会。ハワイの沖縄連合会は、50の団体からなり、総勢4万人を超えるメンバーで構成されている。連合会のマーチンググループは、エイサー太鼓などで演奏される音楽隊と各団体ののぼりの持ち達がパレードする。
それに続くのが、われら県連の移民の故郷巡りグループ。ブラジルならばサンバとポルタ・バンデイラを先頭に移民の故郷巡りのバナー、サンバのリズムに乗った踊りは多少おぼつかないが、なんとか前のグループに遅れないよう続く。
ホノルル市長やマーチングバンド、ミス桜の王女をはじめとする様々なミス達が華やかに飾り、それに続き、ハワイや日本、さらにはオーストラリア、台湾など環太平洋の各国のパーフォーマーの皆さんがダンスや伝統芸、フラのパーフォーマンスを披露して行く。
また、日本からの学校の参加もあったりする。大通りの道端には大勢の観衆が手を振ってくれる。行進は1キロ半ぐらいか、ワイキキの海岸近くを通りホノルル動物園の近くまで続いた。
行進も終わり、ホテルに引き返す。ここから花火が打ち上げられるワイキキの海岸までは1キロ弱。薄暗くなった通りを誰も海岸に向かって歩く。午後8時過ぎから新潟県長岡市の長岡花火。長岡は真珠湾攻撃の総司令官山本五十六の出身地。2012年、恩讐を乗り越えて長岡市とホノルル市は姉妹都市関係を結んだ。そして長岡の花火がホノルル・フェスティバルの最終日を飾ることになったのである。
ワイキキビーチにはシートを持ち込んで座っている人などでいっぱいだ。8時半ごろに最初の一発が揚がる。いろいろな国の言葉で、賛辞の声が上がる。次々に打ちあげられる花火がワイキキの空を飾る。
暗いのでわからないが、みんな満足のようだ。花火が終わって通りに出ると、一行も満足そうにあちらこちらから集まった。
このころになって夕食がまだだったことに気づいた。最後の食事は中国料理、大勢なのでまわってくるのが遅い。こちらはビールで満足だったが、少し料理は甘かったようだ。
3月12日、日本行きは朝早く飛行場に向かう、何人かはハワイへ残った人もいたが、サンパウロゆきは一時近くに飛行場へ。シカゴ経由で無事飛び立ったようだ。
私は東京、大分、熊本、東京と日本の桜の満開を楽しみ、28日にサンパウロへ帰り着いた。(終わり、伊東信比古さん寄稿)
【参考文献】
『ハワイにおける日本人の居住地・出身別分布』(人文地理第46巻1号、1994年)、ウィキペディア、ハワイ州要覧(在ホノルル総領事館―平成29年11月号)、ホノルル・フェスティバル号外