夜、山田さんに食事をごちそうになる。彼もこの国に遊びにきて女性に捕まった一人である。どうしてこんなに簡単に沈没してしまうのだろうか? フィリピンに観光に来て帰る日、土産物屋をのぞいたらかわいい娘がいて、すっかり意気投合してそのままこの国にいついたそうだ。…ヤレヤレ…と私はため息をつく。そしてこの国の腐敗の話を聞く。ブラジルの二周りも三周りもある出口のない、逃げ場のないこの国の有様を聞いて、どうしても肌に合わない不快な空気が私を取り巻いている理由がわかったような気がした。
山田さんに「お願いしますよ、行ってやってください。喜びますから」と言われて更にKさんの家に、Hさんの家にと次々訪ねた。
皆な同じように遠く日本を離れて「財布に惚れられた沈没組」、言葉の通じない異国の女性と再婚して「家庭」を持った日本男児。故郷を捨て過去への郷愁を胸にしまって、それでも「家族」を持ったことに喜びを見つけてこの国に生きている日本人たち。年と共にやってくる淋しさを、弱さを、どのように克服してゆくのだろうか。
こうしてフィリピン観光は、可笑しくもあり、哀しくもある「慰問の旅」で終わってしまった。 外国旅行をして他人の家の中にまで入り込んで、その人の生活を見、心の中まで見せてもらうという、こんな観光旅行はめったにあるものではない。これこそ本当の「大観光旅行」だったのだ。ニッポン男児ガンバレ!!!
後日、フィリピンを後にブラジルへと帰国の空を飛んでいる間、T氏達の「日本を懐かしみ」「日
本語に郷愁を持ち」「日本食に固持する」彼らの心の底にある「故郷ニッポン」。これは他人ごとではない。
人生の三分の二を異国で生活している私の心の底にある「故郷ニッポン」。二重写しとなって自分の将来をそっと、特別に見せてもらったのだと気がついた。
「変わった出会い」とはきっとこの事だったに違いない。 (二〇〇八年)
伝えたいこと(ペルー)
夫が亡くなってから一年過ぎたころ、音楽が聞こえてくるとイライラと神経がいらだち「止めて止めて」と叫んでいる自分を発見した。耳の奥に何か異変が起きたらしい。それとも夫の死というショックで脳の回線が数本切れたのかもしれない。
音に対して神経が特別鋭敏になって、人工の音…たとえば、ピアノ、バイオリン、あれだけ好きだったチェロの音、まして交響楽となると気が狂うのかと思うほどの嫌悪感を持った。
密室の中、特に車の中の音楽は我慢できない。私の車の機器は捨ててしまった。人工の音はごみ、汚物であって、これが耳から流れ込み、心臓の中、肺の中、果ては心の中までを引っかき回して汚してくれる…という感じである。
しかし自然の音に関しては一切違和感がない。風の音、犬、猫、人間の話声、生活音、田舎に行くと早朝から小鳥が鳴き、隣家の鶏が鳴き、豚がえさを求めて騒ぎだす、牛が啼く、すべて自然界の音は少しも気にならない。それどころか心優しい。人間が作った音は騒音だが自然界の音は神様の範疇…やっぱり神様のなさることは凄いんだ。
夜空を見上げて大自然である宇宙はどんな音がしているのだろうか、きっと心をときめかす音がしているに違いない等と考えた。音楽会にはすっかり行かなくなり、どうして昔は交響曲を聞いて美しいと思ったのか、音がしない世界を常に求めて家の中に閉じこもり心が落ち着いた。今、「静寂」ほど素晴らしいものはない。