この4月11日に老衰のため、93歳で永眠した谷口範之さん(のりゆき、広島県出身)は、あまりに壮絶な戦中戦後の体験を記した自分史『私のシベリア抑留記』を遺した。満州出兵、シベリア抑留という戦後移民ならでは悲惨な体験を記したものだ。
終戦の半年前に第119師団歩兵連隊機関銃中隊に入隊し、満州国の北西部に渡った。伊列克得(いれくと)で陣地の築城作業中にソ連軍が侵攻し、「わずか4日間の戦闘で、連隊は半減した」という地獄を見た。
8月18日にロシア軍に抑留され、「家畜のごとく」貨物列車に一晩詰め込まれて収容所(ラーゲリ)へ。「朝点呼で起きて外に出たら、ウッと息ができない。あまりに空気が冷たくて」。食うや食わずで移動させられ、強制労働。ツルハシを地面に振り下ろすと、カンッという甲高い音と共に跳ね返された。地表は完全に凍結していた。
抑留を終え、1947年1月、長崎県佐世保に着いたとき、入隊時に58キロあった体重は40キロに減っていた。「飢餓線上をさまよい、音さえ凍る極寒と強制労働に耐え、灼けつくような望郷の思いに苛まれた抑留の日々であった」。
その後、ブラジルに移住。1992年に墓参団として現地を再訪した。それ以来、「生涯のうちでこれほど長く感じ、例えようのない絶望のうちに過ごした日々はなかった」という最後の戦闘と抑留生活の記憶を15年をかけて原稿用紙300枚に写し取った。
2009年7月に来社した際、「未だ凍土に埋もれたままの多くの兵士がいる事実を、一人でも多くの人たちに知って頂ければ、供養の一端につながるのでは」と書いた動機を説明した。遺族の了解のもと、本日からこの壮絶な自分史を掲載する。