ブラジル日本移民110周年式典に臨席されるため、秋篠宮ご夫妻のご長女・眞子さま(まこ、内親王、26歳)が、7月中旬にブラジルを公式訪問される方向で検討されている。実現すれば、外国公務は昨年のブータン王国に続く4回目となる。今上陛下の初孫であり、成年皇族として立派に公務を果たされている眞子さまは、どのような方なのか。ご来伯を目前に控えるなか、当地ではあまり知られていない眞子さまについて事前に理解を深めておきたい。
◎天皇の初孫、将来の天皇の姉として
眞子さまは、1991年10月23日、宮内庁病院でご誕生された。「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩んでほしい」――そのような願いを込めて、父・秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう)により「眞子」と名付けられた。
秋篠宮ご夫妻は、お子さまのご関心や進路について自由なお考えを尊重される一方、礼儀や作法、年長者への接し方をきちんと躾けられてきた。
とりわけ、今上(きんじょう)天皇(第125代天皇・明仁、あきひと)の「初孫」としてお生まれになった眞子さまは厳しく接せられ、頭の天辺から爪先にいたるまできっちりと作法が仕込まれたという。そうした教育方針のもと、厳しくも愛情をたっぷりと注がれてご成長された。
眞子さまは、学習院女子中等科ご在学中から少年の主張全国大会ご聴講などからご公務を始められた。中学3年生のときには、母・紀子さま(きこ)が弟・悠仁さま(ひさひと)をご懐妊されると、そのお体を心配され、秋篠宮殿下のご公務に同伴し、紀子さまの代わりを堂々と務められたこともあった。
悠仁さまが1歳を迎える頃、紀子さまはこんな句を詠まれている。《子ら三人(みたり)かくれて遊ぶ部屋の中たがひにみつけて笑みかはしけり》
悠仁さまは今上天皇初の男子の皇孫。来年4月30日に天皇陛下にご即位される皇太子殿下が、皇位継承順位の第1位、父・秋篠宮文仁親王が第2位、その次が悠仁さまとなる。すぐ上の姉が佳子(かこ)内親王で、長女が眞子内親王だ。
「未来の天皇」を育てるという重責を背負われた紀子さまを全力で支えておられる眞子さま、佳子さまを、微笑ましく見守られている紀子さまのご様子が目に浮かびそうな御製だ。
◎博物館学をご研究され
「好きなこと、興味のあることを伸ばしてあげたい」――そんな秋篠宮ご夫妻の教育方針のもとで、眞子さまがご興味をもたれたのが、藝術や美術の分野だった。学習院初等科の卒業文集の一文には、家族で京都御所を訪れて襖絵を鑑賞したことを「よき思い出」として、こう綴られている。
《日本画を見ていると、描かれた時代の歴史、自然や生活などを知ることができ、たいへん興味深く思います(中略)私は、日本画の制作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。そして、いつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います》
眞子さまは、女子高等科に進まれると、芸術や美術への関心をさらに高められた。文化祭では有志の団体を立ち上げて、ホラー映画を製作されたことも。ゾンビから逃げ惑う役でご出演されたという。
通例、皇族は学習院大学に進学されてきたが、皇族としては初めて国際基督教大学にご入学された。同大学は、設立時に高松宮宣仁親王が設立準備委員会の名誉総裁に就任されており、皇室との縁もある。
同大学ご在学中、3年次からは専修分野として美術・文化財研究を専攻されるとともに、学芸員の資格を取得。卒業論文では、日本神話を題材とした絵画をテーマに「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」を執筆された。
卒業後はさらなる研究を深められるため、レスター大学大学院博物館学研究科にご入学。ブラシュカ父子の海洋生物模型を題材に、修士論文「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」を執筆し、2016年に修士号取得された。
現在は、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科の博士後期課程で博物館学を中心にご研究に取り組まれる傍ら、東京大学総合研究博物館の非常勤特任研究員として勤務されている。
◎身分を隠し、復興支援ボランティアに
国際基督教大学在学時の2011年3月11日、マグニチュード9.0の観測史上最大となる東日本大震災が発生。震災による死者・行方不明者は1万8千人を越え、原子力発電所事故や余震の恐怖に国民が怯えるなか、同月16日に天皇陛下はビデオメッセージをご発表された。その後も、皇族方は各地を訪問し、被災者を激励してこられた。
震災発生から間もない7月、眞子さまは一学生ボランティアとして、まだ傷跡深く瓦礫の残る、岩手県山田町や大槌町、宮城県の石巻市をご訪問されたことがある。それも皇族としてのご身分を隠してのことである。
「現場を見たい」「子供たちの役に立ちたい」――そのようなお心に動かされた眞子さまは、小学生の子供たちの夏休み出前講座などに加わられた。あだ名は「まこしー」。こう自己紹介され、子供たちと打ち解けて触れ合い、心のケアにあたられた。
同年10月23日にご成年を迎えるにあたっての記者会見に臨まれた眞子さまは「メディアの報道を通して、震災の状況について理解したように思っておりましたけれども、実際に行ってみないと分からないことがあると実感いたしました」として、「私自身も、今後何らかの形で携わっていきたいと思っております」と開陳されている。
◎成年皇族として立派にご公務を
2014年に国際基督教大学を卒業されてからは、各方面からの要請に応えて、様々な活動をなさっている。皇居では、宮殿での新年祝賀の儀をはじめ講書始、歌会始、国賓や在京外国大使のご接遇など多数の儀式・行事に列席。宮邸においても離任大使などを引見される等、ご成年以降の宮殿、宮邸などでの行事ご出席は210回以上に上っている。都内や地方で行われる式典や行事にも数多くご臨席になられ、地方への公的なご出席は20回以上に及ぶ。
外国との関係では、2015年に外交関係樹立80周年を機にエルサルバドル共和国及びホンジュラス共和国を、16年には日本人移住80周年の機にパラグアイ共和国を、17年にはブータン花の博覧会の開会式にご臨席のためブータン王国を公式に訪問され、それぞれの国で国際親善の実をあげてこられた。
その洗練された立ち振る舞いは地元メディアでも熱烈に賞賛され、公務一つ一つに真摯に取組まれるお姿に、天皇皇后両陛下をはじめ秋篠宮同妃両殿下も厚い信頼を寄せられるほどだ。
◎各地の日本人移住者や日系人と話をされ
年始の歌会始で、眞子さまはこんな句を詠まれている。《パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る》
これは2016年のパラグアイご訪問を詠まれた歌だ。眞子さまは、同年9月6日から16日にかけて、式典や記念行事のほか、初期移住地であるラ・コルメナを初めとして5つもの移住地を訪ねられた。各地の日本人移住者や日系人と話をされたその記憶は、その御心に強く残っていらっしゃるようだ。
皇室はブラジル日系社会にとりわけ深く思いを寄せてこられており、皇太子さま、父・秋篠宮さま、紀宮(のりのみや)さまはいずれも、初の外国公式訪問先として、ブラジルを訪問されてきた。このブラジル移民110周年にご来伯される眞子さまは、ブラジル日系社会にどのような思いを持たれるであろうか――。
◎ご婚約は20年以降か
昨年5月、NHKのトップニュースとして、眞子さまご婚約見通しの一報が全国を駆け巡った。内親王としては紀宮さま(現、黒田清子さま)以来12年ぶりとなる慶事とあって、日本国民は祝福に沸いた。
お相手は、都内の弁護士事務所に務める小室圭さん。眞子さまがご在籍された国際基督教大学の学友だ。秋篠宮ご夫妻を彷彿とされる自由恋愛で結ばれたお2人は、ご婚約内定まで約5年の歳月をかけて、結婚に向けて話を進めてこられた。
ご婚約内定の記者会見では、お互いにどんなところに惹かれたのかという質問に対し、眞子様は「最初にひかれたのは太陽のように明るい笑顔であったと思います」とされた一方で、小室さんは「月のように静かに見守ってくださる存在でございます。とても愛情深く、確たる信念をお持ちのところに強くひ惹かれました」と答えるなど、仲睦まじさが垣間見えるご会見となった。
お二人は、本年3月4日に一般の結納にあたる「納采の儀(のうさいのぎ)」を行い、11月4日に結婚式を挙げる予定であった。ところが、直前の2月6日、結婚に関する一連の行事が、天皇陛下のご退位や皇太子殿下の即位などの儀式が終了した後の20年になることが発表された。
宮内庁を通じて「お気持ち」を述べられた眞子さまは「現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました」と延期の理由をご説明された。
また「私たちは、結婚という人生の節目をより良い形で迎えたいと考えております。そして、そのために二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに、結婚までの、そして結婚後の準備に充分な時間をかけて、できるところまで深めて行きたいと思っております」とも語られている。
一方、昨年末からは週刊誌で小室さんの母・佳代さんが元婚約者との間に金銭トラブルがあることが大々的に報道されるようになり、その勢いはさらに過熱。これが結婚延期の理由であると見る向きもある。
眞子さまの今回のブラジルご訪問により、皇室の新しい世代と日系社会に深い絆が生まれることが強く期待されている。初来伯となる眞子さまを、日系社会はもちろんブラジル全体で、しっかりと心から歓迎したいところだ。(大澤航平(こうへい)記者)