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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(3)

 一九四五年八月六日夜、原隊復帰命令が出た。候補生一行が乗車した深夜の臨時列車には、海拉爾方面からの民間人たちで満員の有様であった。不審に思って訊ねた。
 =軍からの緊急避難命令で、当座に必要なものだけ持って乗車した=
という。戦後、関東軍は民間人を護らないで悲惨な目に遭わしたと非難されたが、第四方面軍のようにソ連軍が侵攻する三日前に、民間人を避難させる処置をとった軍もあったのである。
 七日早朝、原隊に復帰。九日朝の点呼時、中隊長は次のように発表した。
 =九日午前零時、ソ連軍は全国境線を突破して侵攻を始めた。現在、満洲国内を進撃中である=
 一二日には伊列克得地区の西方一八㎞のハラコウ地区に、戦車を主力とするソ軍先遣隊が到達した。
 同日一七時半、斬込隊員二七名が、ハラコウへ出撃した。この時刻、斬込隊員であった私は小哨構築作業に従事していた。そこで斬込隊員集合の命令を伝令より受けた。大隊指揮所へ集合というから所在場所を伝令に訊ねた。伝令は迷路のような山路を説明できない。
 しかし、集合命令だから兎に角飛び出し、息を切らして山路を駆けた。伝令の遅れで出撃時間に間に合うはずはなかったが、そのことは頭に浮ばなかった。ひたすら所在を知らない指揮所を探し、途中で遭う兵隊に訊ねながら、急坂ばかりの山路を汗まみれになって走った。
 指揮所を探しあてた時は辺り一帯夕闇が漂っており、斬込隊は三〇分前に出撃していた。准尉から遅れてきたといって、往復ビンタを二発食らった。斬込隊は一人も生還しなかった。
 八月一三日、わが第三機関銃中隊に出撃命令が下る。西丘陵先端部に広がる台地に西より第一、二、三、四の分隊順に展開し、第五分隊だけは谷を隔てた左方の中央丘陵に布陣する。
 明ければ八月一四日。陣地から見下ろすと右方向は朝日に光る大平原が見渡され、地平の彼方から鉄路とそれに併行する軍用道路が二本の筋を引いたように、前方一㎞の辺りまで伸びてきている。
 そこから左方は地形が数段低くなっていて、鉄路も道路も隠れて見えない。陣地と道路の高低差はほぼ一〇〇mである。前面は緩い傾斜の草地が長さ五〇〇m位にひろがり、その先は地形が落ち込んでいる。
 左方の中央丘陵は、先端部から急傾斜の地形だから、戦車の侵入には不向きである。われわれの西丘陵は、陣地正面が緩い傾斜だから、戦車による攻撃にはもってこいの地形だ。
 やって来たらひとたまりもなく全滅だと思うと、悲壮感で体中が固くなった。
 私の任務は予備射手である。機銃の銃座から六m右方の定位置にタコ壷を掘って待機の姿勢をとっている。
 九時過ぎ、西方地平線上にあがる土煙を望見した。見る見るうちに近付いてくる。二列縦隊の黒いソ連戦車が、地平から湧き出るように姿をあらわす。そして整然と進撃してくる。
 先頭戦車群が右斜め前方にさしかかった。と、後方からターンという砲声が聞えた。道路の手前五〇mの草地に着弾し、黒煙と土煙りを上げた。続いて二発目は先頭戦車群一〇輌の中央に着弾して、数輌は黒煙に包まれた。やったと見ていると戦車群はなにごともなかったように悠々と前進していた。