最初の移民船「笠戸丸」がサントスに着港してから110年――6月18日の「移民の日」の前日の17日、「開拓先亡者追悼法要」がイビラプエラ公園及び文協大講堂で行われた。ともに例年を遥かに上回る参列者が出席。特に文協大講堂の法要は節目に相応しく〃異例〃の1千人近くが参列、次世代へと繋がる式典となった。
09年以降、参列者が300人前後に落ち込み、閑散としていた文協法要。日本移民110周年を機に、菊地義治実行委員長が梃入れして活性化を図り、1千人近くが参列。一階席がほぼ満席という異例の規模の追悼法要となった。
午前10時半に開始された法要は、ブラジル仏教連合会とブラジル日本文化福祉協会が主催。同連合会コーラス部による「道の光」が始まりを告げ、献茶、献花、献楽に続き、稚児、諸僧、導師らが厳かに入場した。
采川道昭導師の焼香に続き、追悼の意を述べた呉屋春美文協会長は「マラリアに対する知識もなく、医者や十分な薬もないまま次々と命が失われた。愛する家族を残し、どれほど心配しながら逝かなければならなかったか。そのやりきれない気持ちを思うと、胸が締めつけられる」と涙を吞みながら永眠した先駆者に思いを馳せた。
来月に控える110周年記念式典について触れ「先人が残してくれた勤勉、誠実等の精神を未来へ伝えることのできる、真心のこもった式典にするため日系社会全体で心を尽くしてゆく」と霊前に誓いを立てた。
その後、野口泰在聖総領事らが追悼の意を述べ、来賓並びに一般参列者が焼香した。
東本願寺の尾畑文正氏は法話で、「国土を開拓した先駆者がもう一つ成し遂げたのが、心の開拓だった。ここに宗派の隔たりを超え、仏教という一点で心を合わせている。誰もが仏の子として命を輝かせ、大地に生きていって欲しいという願いがそこにあったからだ」と語りかけた。
法要の後、唱歌「故郷」を全員で合唱。歌手の平田ジョーさんが110周年記念曲「ありがとうブラジル」を熱唱、会場一体となって手を振って盛りあがり先駆者への感謝を歌に乗せた。
最後に菊地実行委員長が登壇。「今日の日を一番悦んでいるのは開拓先亡者。7月21日に皇室から眞子さまをお迎えし、先亡者に感謝しながら皆さんと一生懸命に頑張りたい」と来月の祭典に向けて檄を飛ばした。
ジャラグア市在住の野沢百合子さん(80、長野)は「2月に夫が亡くなり気持ちに整理がつかず、法要に参加しようと思った」という。「戦後移住してからずっと百姓で貧乏だけれど、先に移住された近所の方々にお世話になって今日まで来られました」と感慨深げに語った。
なお、同日午前8時半からイビラプエラ公園内の開拓先亡者追悼慰霊碑にて執り行われた法要でも、例年を上回る約150人が参列。山田康夫県連会長は「ブラジルの地にすら辿り着かず、移民船のなかで600数十人が亡くなった」ことにも触れ、全ての日系人の御霊に哀悼の意を表した。
慰霊碑には36県人会の過去帖が並べられ、印刷会社グラフィカ・パウロスの共同経営者、島袋レダさんが調査・記録した、移民船で亡くなった人の名簿が地下の納骨堂に納められた。
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文協の中島エドアルド事務局長によれば、08年の移民百周年に向け、文協50周年を迎えた05年頃は、法要後に映画上映等の催しも合わせて行うなど、今回と同程度の参列者があったというが、ここ10年では最大規模。今式典では東麒麟、アグロニッポ社、ミウ・フォーリャス社、本門佛立宗日教寺の協力を得て、お弁当、ジュース、ボールペン、メモ帳等の入った福袋も参列者にプレゼントされた。実現に奔走した菊地実行委員長は「先駆者に感謝して供養することは移民祭の原点。『まず法要をしっかりやらなければ』と思った。これは仏連の活性化にも繋がるはず。これだけ人が集まったのは奇跡ではない。努力してやればできる」と強調した。呉屋会長も「来年も同じ規模で続けたい。若い人にもっと呼びかけたい」とも。来年は2階席まで満員となるかも?