▼歴史学者トインビー博士の言葉「人種問題は、異人種が結婚したら解決するだろう」
1960―70年代、すでにアメリカ合衆国、南アフリカのみならず、世界各地で悪質な人種問題の嵐が吹き荒れていた時代に、歴史学者のアーノルド・トインビー博士が、この問題に関して次のように語った言葉がある。「この問題は公民権運動などによって解決できるものではない。白人と黒人が真に交じり合って、つまりお互いが結婚して、みんなが混血児になって初めて解決されるだろう」。
さて、今日の恵まれた時代にブラジルに住み、この国の過去の歴史を振り返ることなく生活していると、一見、博士のこの言葉が端的に実現されているのが、このブラジル社会をおいて他にあろうか、と感じさせられる。
実際、肌の色、国籍に関係なく互いが結婚して、今や、その混血児の世代が平和に、穏やかな関係を維持しつつ暮らしているように伺えるのである。また多くの白い肌を持つ美男美女の先祖が、実はヨーロッパ人と黒人の混血であったということは、ごく当たり前に見聞きする。
国民が一つになって応援するフットボールにせよ、アフリカ系黒人奴隷がもたらしたサンバのリズムで踊り明かすカーニヴァルなどを挙げるまでもなく、ブラジル社会では日常生活でさまざまな人種が穏やかに融合し、「人種の壁を越えた共存」が成功している国というイメージが固定化されているようだ。
日本社会では、これほど多くの異人種と日常的に身近な距離で接することはほとんど無いと言えよう。むしろ、伝統的に端然とした暮らしを好んできた多くの日本人にとって、外国人受け入れの態勢は、特に、精神的にまだまだ整っていないと思う。
それ故に、ブラジル社会には「人種差別は無きに等しい。差別と言えば階級差別である。貧困ゆえの犯罪は後を絶たないが、人種間の争いは無い。これは常識的な見識である」と聞かされ、このような情報を丸呑みにして、疑いもなく信じてきた。
しかしこの認識は、ブラジルの人種混淆社会を語る上での、非常に単純化された紋切り型の固定概念であろうとの指摘を受けた。
▼心の奥に潜む人種差別
他人より優位であること。あるいは、外見が劣っていることへのさげすみの心。自分より優れた者に対する激しい嫉妬。これらは誰の心にも潜む心理である。そういう感情を表に出さぬよう気を付けながら心地よい距離を保ち、良い関係を築くのが社交上手というものだ。
しかし、このような不埒な感情が人の内面に潜んでいることは間違いなく、突如悍ましい顔を顕すことがある。
ここに興味深い記事を紹介したい。「ハフポストブラジル」版(2017年12月7日付)に、ブラジル社会に根深く存在する黒人への人種偏見の悪質さについて書いたコラムがある。
それによると、ブラジル人は友好的に物腰柔らかく人々と接するが、それはごく表面的なことであり、実際は、心の奥底に黒人への憎悪、偏見があるという。
具体的な例として、2014年にリオで起きた3件の黒人やその混血に対する事件を挙げている。十代の若者に人気のドラマに出演している黒人青年タレントがいる。或る晩彼は、仕事を終えて暗い夜道を自宅に戻る路上で、犯罪者に間違えられ警察官に不法逮捕された。理由は肌が黒いことだった。「もし彼が白人だったら、このようなことが起こっただろうか」と、記者は読者に投げかける。
また、報道関係者がメディアを使って、黒人女性ジャーナリストの外観の特徴や髪、香りについて冗談をいうが、同じことを白人女性に対してするだろうか、と問う。これは明らかに人種差別意識に基づく行為なんだよ、と戒めている。
さらに、サンパウロのIPEA(Instituto de Pesquisa Econômica Aplicada、応用経済研究所)や、「ソゥ・ダ・パズ」研究所(Sou da Paz Institute)による暴力の調査を紹介し、黒人は白人の2・4倍も多く殺害されていることが報告している。
記者は、「このような調査データは、制度上の人種主義を反映し、偏見に満ちた冗談や軽口などが毎日どこかで発せられている。これはブラジル社会の中核に潜む人種差別主義者の偏見で、すでにそれ自体が犯罪であり、深刻な問題であることを理解しなければならない。そして、私たちはそれぞれがこの問題に取り組まねばならない」と喚起している。
この記事に対して続々と寄せられた読者や観光客の反応、目撃情報等からブラジル社会の黒人に対する人種偏見は想像以上に根強いものであることをうかがい知ることができるのである。
さて、2006年アメリカ合衆国での一つの調査がある。就学前児童を対象に、白人と黒人どちらがキレイかという調査をし、その結果をテレビ番組で放映した。
すると、子供たちの半数が白い人形を黒い人形の上に置き、白い方が黒い人形よりキレイだと答えた。つまり、「白はキレイ、黒は醜い」という反応を示したという。
黒人の血を引く女の子たちの中には、「色白で青い目」を美の基準に置き、自分は醜いという劣等感を抱く。あるいは、黒人女性が特有の強くカールした髪の毛を直毛にするために多くの時間や金銭を費やす。
こういう現象は、「白は美しく、黒は劣悪」という肌色の優劣偏見が社会の潜在意識になっているという批判である。(『国連特別監査官報告によるアメリカの黒人生徒への差別待遇の実態』)
▼「人種民主主義」という考え方
国連が四半期ごとに出版する『国連クロニクル』2007年9月号で、カルフォルニア大学(UCLA)の社会学教授、エドワード・テレス教授はブラジルの人種問題を次のように説明した。
●ブラジルは建国当初からアメリカ合衆国の7倍の黒人奴隷を輸入し、1888年、西半球で奴隷制を廃止した最後の国であったこと。
●アメリカ合衆国での家族を基本とした植民地化とは対照的に、ポルトガルからの入植者が主に男性で、黒人奴隷、インディオなどの異人種混淆や雑婚が一般的であったこと。
●米国や南アフリカとは異なり、20世紀を通して人種差別やアパルトヘイトなどの人種差別的な法律や政策がなかった。
●1930年代初期から近年まで、彼らの国を「人種民主主義」と考えていた。彼らは、世界の他の多民族社会とは対照的に、人種差別がブラジル社会において最小限であるか存在しないと信じていた。ブラジル社会における人種問題に公の議論はほとんどなく、諸外国の社会は人種に執着しすぎていると考えられていた。
●奴隷廃止後、ブラジル政府が積極的に多くのヨーロッパ移民を受け入れたのは、ブラジルが劣等社会というイデオロギーから、『白人化=脱アフリカ化』が叫ばれ、白人との混血を増やして、ブラジルを「白く」していく目論見があった。
テレス教授が指摘した「人種民主主義」とは、1920年代のナショナリズムが勃興し、独裁政権下で多様な人種・民族のブラジル社会への同化が強制され、多様な人種がともに繁栄する「人種民主主義」と呼ばれるイデオロギーが推進されたことを指している。
独裁政権下で1980年代までそのイデオロギーが推進されたが、徐々にそれが様々な社会の不公正を隠蔽するイデオロギーとして働いていることが明らかになった。しかし、それを問題視する言説は独裁政権により排除・弾圧されていた。
民政移管後はマルチ・カルチャリズム(多文化共生)が宣言されたが、人種民主主義下で醸成された『ブラジル人意識』と多様な民族文化の承認という二つの矛盾する方向性が生まれたという歴史的背景を、教授は示している。
▼ジルベルト・フレイレの描いたブラジルの姿
ジルベルト・フレイレは一九三三年、『大邸宅と奴隷小屋』を出版し、三つの人種と文化(ポルトガルの白人、先住民族のインディオ、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人)の混血と融合によるブラジル独自の国民形成を解釈した新しい視点を世に示した。その中で、ブラジルの本質を次のように説明している。
「ポルトガル植民者は大航海時代に全世界の三分の二の奴隷制に関わっていた。植民者として上陸した貴族の端くれや残り物の人間にしても、ヨーロッパにおいて、ポルトガル人ほど抵抗なく奴隷制を採用する準備のできていた国民はなかった。まして、ブラジルの環境と状況において奴隷を必要としたのは必然であった。最初はインディオを奴隷としたが、彼等の文化は遊動的で定住農業の必要を満たせなかったこと。一方、アフリカ人がインディオに対して決定的優位にあったのは、優等な文化と定住労働で、すでに農業の段階に達する文化を有していたことであり、インディオ擁護の精神的な次元の要因ではなかった」のである。
そして、「当時のポルトガル白人は白人女性の欠乏に関係なく、異人種間の混淆と混血化を好む傾向が他のどのヨーロッパ人植民者よりも優っていたため、黒人奴隷の女はカーザ・グランデの中で使用人、愛人、果ては正妻にすらなり、奴隷には禁止されていた宝飾品を身につけることさえ許され、その間に生まれた混血児は嫡子であれ、庶子であれ、比較的寛大な待遇がなされた」。
「砂糖の時代から二百年ほどの間に発生したセニョール・デ・エンジェニョ(大農園所有者)は、個々の農場自体を完結した共同体に形成した。すなわち、単一の砂糖産業と、ポルトガル的家父長制に基づいた絶対的権力者農場主を頂点にして黒人奴隷を底辺としたピラミッド型のカースト制が敷かれ、白人家父長と有色人種の女性による人種混淆によって成立したブラジル特有のモノカルチャー社会である。
こうして始まった歴史的な人種混淆の結果、「ブラジルにいる金髪の白人でさえ、その肉体と魂にはアフリカ黒人奴隷とモンゴル系先住民の血が流れている。彼等はジェニパッポ(チブサノキ=乳房の形をして乳状の果汁を持つ植物)で育ったか、あるいはモンゴル系の姿形をしている。その影でさえ、原住民と黒人の特徴を示しているのである」と、ブラジル人というのは圧倒的多数がアフリカ系黒人の混血であると断言している。
このフレイレの見解を裏付ける調査結果がある。2000年から20011年までのミナスジェライス大学遺伝子學研究所のセルジオ・ペナ博士とマリア・カティラ博士の研究発表がある。博士等の研究グループによる主要三都市における遺伝子サンプルから取得したミトコンドリアDNA、Y染色体(mitochondrial DNA, Y chromosome)から推定値を導き出しブラジル人種の基本構成を決定した遺伝子調査では、ブラジル人の約50%がポルトガル白人の遺伝子と、86%のブラジル人が、10%以上のアフリカ黒人の遺伝子を継承しているという分析結果が発表されている。
▼国勢調査(IBGE)の結果が示すもの
2010年に実施された国勢調査(IBGE)によると、自分自身を黒人もしくは混血とするブラジル人の割合が2000年より44・7%から50・7%となった。これは国勢調査始まって以来まったく初めてで、公式な統計結果がブラジル人口全体の過半数を黒人もしくは混血で占めるということを示した。
しかし黒人は、市民権を行使することに関して未だに不利な立場で苦しんでいるのも歴然とした事実である。
同調査では、黒人の大半は国土の北部および北東部に集中し、そのうち15歳以上の年齢層は識字率が非常に低い(24・7%~27・1%)。経済格差としては、最貧困層に分類された70・8%が黒人で、富裕層は最貧困層の42倍以上の所得を得ている。黒人及び混血のブラジル人平均所得は、白人住民や東洋人と比べ2以上も低く、また彼らは、十分な医療サービスを受けることができないという理由で、比較的に若い年齢で死亡している。
以上の国勢調査の結果が何を伝えているか、次に挙げてみよう。
ブラジル社会が歴史においてアフリカ的文化の重要性の認識度や、黒人にルーツを持つことを誇りに思う人の数はここ数年で増加しているのは事実であるという結果が示されているが、次のような回答もある。
それは、97%のブラジル人が、『自分は人種的な偏見を持っていない』と答え、98%の人が『自分は人種偏見を持っている人を知っている』、と答えた。
ブラジル社会ではいまだに人種民主主義の神話によりカモフラージュされている部分が根強く残っているといわれている。それは、民族や人種の違いによる社会的身分や市民権に影響する人種問題や社会的不平等は存在しないという側の主張であろう。
しかしながら調査結果の数字はこれとは正反対ではないか。
それでもなお、国民人口の過半数が文化的背景でどのように差別されているか、肌の色に関連した社会的不平等を証明することは難しいという。
白人対黒人だけでなく、世界のあらゆる国や社会には、それぞれが歴史的に抱える、潜在意識としての人種偏見がある。
世間は「違う者の集まり」という根本構造の問題点を解消するには、違う人種がその国に同化できるか、多文化並立がよいか、どのように統合することができるかという課題に常に向き合わねばならない。そして国や国民が求める「平等・同等」という理念を以ってしても、その溝は永遠に埋まりそうにもない。
【参考文献】
◎『大邸宅と奴隷小屋』ジルベルト・フレイレ著、鈴木茂訳、東京・日本経済新聞社2005年
◎The World Bank – World Development Indicators – Population, total(2016)
◎An index of national affluence “Real GNI”
United Nations Statistics Division – Demographic Yearbook 2014
◎U.N. Experts Seem Horrified By How American Schools Treat Black Children https://www.huffpostbrasil.com/entry/school-discrimination-united-nations_us_56b141e1e4b01d80b24474d3