英語で「アメリカス」と複数形で表されると、南北両大陸を意味している。この「アメリカ」という名前がどのように命名されたのかについては、案外知られていない。
この大陸を発見したのはスペインやポルトガルなのだから、当然その国の発見者の名前がついているのだろう、と思いきやそうではない。そうすると、発見者は北アメリカならコロンブス、ブラジルならカブラルとなる。しかし、両大陸とも発見者の名前で命名されていない。
しかも、その名が付けられたのはコロンブスがアメリカを発見してから後のことである。
するとこの「アメリカ」とはどこから来て、どのようにして命名されたのか、その由来を辿ってみた。
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まず、この名前は15世紀大航海時代の一人の人物名なのである。その人はイタリアのフィレンチェ出身の探検家にして、天文学者、地理学者であったアメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci, 1454―1512)である。
イタリアのヴェスプッチ家
イタリア旅行をした経験のある人は、フィレンチェのウフィツィ美術館を訪れて、イタリアルネサンス期を代表する絵画、サンドロ・ボッティチェッリの『プリマベーラ(春)』、『ヴィーナスの誕生』の本物の巨大な作品を見上げて圧倒されるに違いない。
そのボッティチェッリやギルランダイオを中心とする画家たちはヴェスプッチ家のあるオニッサンティ地区に住んでいた。
アメリゴの生家は、イタリア北西部トスカーナ州の一部で、その県都プラートの出身であった。プラートは伝統的な繊維産業の町として栄えていた。
ヴェスプッチ家は蜂(vespa)に由来する姓であることから養蜂業を営んでいたとされ、家紋の図柄にそれが表わされている。
父親のナスタジオは、フィレンツェ共和国で公証人として働いていた裕福な一族であり、当時イタリアを支配していたメディチ家の事業を監督することになったメディチ家との親交が深かった。かのボッティチェッリや他の画家たちは、幾人かの庇護者の一人であったヴェスプッチ家のために多くの仕事を作成していた。
アメリゴはヴェスプッチ家の三男として生まれ、兄弟とも高い学歴を与えられて育った。特にアメリゴは、碩学として知られていた叔父のジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチ修道士からラテン語とギリシア語を習得し、プラトンを始めとする古典文学や地理学を学んだという。
この叔父による厳しい教育無くして、後のアメリゴは無いといわれるほど徹底した高等教育を受けた。その成果は、新大陸発見への好奇心と決意の芽生えや、新たな貿易航路の開発発展の一翼を担う人物として往く道が開かれることになった。
探検家への道
アメリゴは青年期の24歳のとき、スペイン・セビリアの船卸業を営む銀行家の代理店に、メディチ家の事業を監督することになり、スペインに移った。そこで多くの探検用の船を見て新大陸探検がもたらすビジネスの展望を掴んだ。
貿易の対象となる品目は、塩、香辛料、中国の生姜、シルク、金銀・鉱物類などであった。それらのすべてがヨーロッパ諸国の垂涎の品々で、それを独占し、国力の拡大と経済的繁栄による絶対的優位を図る目的で、諸国が探検を競っていたのであった。
当時、探検家はインドへの北西ルートや東南アジアの島々を既成ルートにして活動していた。
15世紀半ばまでに、イスラム教徒がアジアへの貿易ルートの大半を支配していたため、ヨーロッパやアジアを行き来する物資や船舶に対するタリフ(関税、運賃)の価格を高めたために、ヨーロッパ諸国は、より迅速、安全、安価に当該地に辿る方法を探っていた。
1496年にアメリゴはスペインでクリストファー・コロンブスに会ってお互いに情報交換した。双方がマルコ・ポーロの『東方見聞録』から受けた影響は大きく、それに描かれた大陸の地理、地形、人々、そして豊富な文化的描写は素晴らしく、大きな刺激であった。
コロンブスとの出会いによってアメリゴは、未知の国への関心をさらに強め、実際に自分の眼でそれらを見たいと熱望するようになった。
アメリゴにはそれまでの修学によって、短期間で目的地へ到達するための天文学による航海学、地図作成の深い知識があった。
彼は探検隊に同行する決心を固め、その時を待った。スペインのカトリック国王フェルナンドが西インド探検航海を企画し、参加要請を受けたのは43歳であり、彼は初航海に赴いたのである。
アメリゴによる新大陸発見の成果
アメリゴは生涯四度の航海を行ったといわれているが、最近の研究によると、第二期と第三期の航海は確かに信憑性はあるが、1497から1498年の初航海と第4期航海については出来事そのものの存在について信憑性が問われている。
1500年カブラルが、ポルトガル王の命によって喜望峰を超えてインドに向かう途上でブラジルを発見し、ポルトガルはこの領土占有を主張した。
ポルトガル王は、発見された土地が単なる島なのか、あるいはスペインが既にその北側を探検していた大陸の一部なのか知ることを望んでいた。マヌエル1世はこの探検隊にブラジル北岸の探検経験をもつアメリゴを抜擢、セビリアから呼び寄せる。
1501年、アメリゴの船は南米大陸東岸に沿って南下し、沿岸のパタゴニアに向かっていた。あまりの寒さと暴風雨の厳しさに耐えかね引き返さざるを得なかったが南緯50度まで沿岸を下り、南端のティエラ・デル・フエゴから400マイル(約643キロ)を南に航行中のことであった。彼が目にした大陸は、これまでの推測よりもはるかに南に伸びていることを確認したのである。
彼は、南米大陸がアジア最南端(マレー半島、北緯1度)とアフリカ最南端(南緯34度)の経度をはるかに南へ越えて続くため、それが既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。
アメリゴの発見は、コロンブスをはじめとする探検家が、新世界はアジアの一部であると考えていたことを覆すものになった。つまりアメリゴは、それまでヨーロッパやアジア、アフリカ人に知られていなかった北米と南米の両大陸を認識した最初の人物であった。
この航海中、アメリゴはヨーロッパの友人に宛てて、新世界をアジアとは別の大陸とする手紙を書いた。
これらの手紙にはまた、先住民との出会いを記録し、彼らの文化が記述された。アメリゴは原住民の宗教的慣行と信念、食生活、結婚習慣、などを詳細に記述した。
これらの手紙はいくつかの言語で翻訳されて出版され、ヨーロッパで、コロンブスの手紙よりも優れていると評価されてよく売れたという。
また、アメリゴはこの第三回航海の最中にヨーロッパ人初の南半球での天体観測を行ったが、その記録はポルトガルの航海に関わる機密情報とみなされてマヌエル王によって没収された。彼は王に対して、「他国への機密流出のためではなく純粋に学術的目的のために返還を求めているのだ」と訴え地理学書の執筆に必要なその記録の返還を求め続けたが結局戻されることはなかった。
1503年から1504年にかけての第四回目の航海では南米北東部沿岸を探検し、ポルトガル王の元で二回の探検調査を終えた後、アメリゴは1505年にスペインのセビリアに帰還する。彼はスペインに帰化し、初代の航海士総監(Pilot Major)に任命され、1512年、セビリアで58歳で死去した。
アメリゴの亡くなった翌年の1513年、スペイン人のバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの探検で北米と南米の二つの大陸が陸続きで繋がっていること、そして南の海(太平洋)が確認された。しかしその後もスペイン人が当初からつけた新大陸の総称「インディアス」は慣習的に根強く残っていた。
アメリカと名付けた人物
さて、南北両大陸に「アメリカ」と名付けたのは地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラー(1470年頃―1520年)である。
ヴァルトゼーミュラーは、現在のシャルシュタットの肉屋の息子として生まれ、フライブルク大学で学んだ。大学を卒業後、天文学の教授職に就き、1507年にマティアス・リングマン (Matthias Ringmann) とともに著した冊子「宇宙誌入門」(Cosmographiae Introductio)を出版した。
その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクス・ウェスプキウスの女性形から、この新大陸に「アメリカ」という名前が付いた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。
しかし、1513年、アメリカ発見と命名におけるアメリゴ・ヴェスプッチの役割が過大評価されているとの反論を受け、ヴァルトゼーミュラーはその命名について再考したようである。そして、彼は改訂した地図の中で、この大陸を単にラテン語で「未知の土地」(Terra Incognita) と表記するに止めた。
この改訂にもかかわらず、「アメリカ」と記述された2枚組の世界地図はすでに1000部が流通しており、この新大陸は「アメリカ」として知られるようになった。それ以降、徐々に「アメリカ」という呼称が浸透し統一された。
この壁掛け用の世界地図は長い間失われていたが、1901年にヨーゼフ・フィッシャー(Joseph Fischer)によって南ドイツにある城からコピーが発見された。
それは現存する唯一のコピーであり、アメリカ議会図書館によって2001年に購入が提案され、2003年に正式に買い取られた。球状の世界地図は4部が裁断前の形で現存しており、そのうちの一部がアメリカ大陸側にあり、ミネソタ大学ツインシティー校の図書館に収蔵されている。
以上、何げなく使っている「アメリカ」の呼び名の由来を尋ねてみた。インターネットでも、書籍でも詳しい解説がされているので、興味のある方は是非、大航海時代の想像以上に活発な歴史を散策してみては、とお勧めしたい。
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【参考文献】
https://www.livescience.com/42510-amerigo-vespucci.html
https://www.biography.com/people/amerigo-vespucci-9517978
http://www.yamada-kouji.com