今年5月、パラナ州アサイ市にあるブラジル初の日本式の城「旭城」が建てられた。2008年に築城計画が始まり2年で完成のはずが、紆余曲折を経て10年がかりで開城した。その裏にあった、歴代市長や同地の日系団体、アサイ文化連合会の尽力を現地で取材した。
通常ブラジルの田舎町の高台にはキリスト教会が建つが、アサイの場合は日本式の城だ。しかもブラジル人市長が主導して建てた。城は4階建て、石垣も含めた高さは約25メートル。市内で一番高い丘の上に建ち、町を一望できる。
モデルにしたのは、パラナ州が兵庫県と姉妹都市であることから姫路城だ。別名を「白鷺城」(はくろじょう)と呼ばれる美しい名城の一つで、ユネスコの世界遺産リストにも登録されている。
アサイでも城壁を白にし、入り口に続く階段に日系人の存在を象徴する赤鳥居を2基建てた。
築城の話が出たのは2007年、ミシェル・アンジェロ・ボンテンポ市長(当時)とアサイ文化連合会の丹野ラウロさん(55、三世)との雑談がきっかけだった。丹野さんが町の中で最も高い場所を指差し、「あそこに日本の城があったら格好がつくでしょうね」と冗談を言った。
笑顔で応えたボンテンポ市長はその1週間後、築城の予算を500万レアル、当時の為替で約3億円と算出し、丹野さんに伝えた。丹野さんは「僕は冗談のつもりだったのに、市長は本気にした。『この町にそんなお金ないでしょ』と言ったら、『なんとかする』と答えた」と振り返る。
アサイは元々1932年に、日本の「ブラジル拓殖組合」が作った移住地。同地で生まれ育った非日系市長は大変な親日家で、日本人の功績を形として残すとともに、市のシンボルとして観光客を呼び込む考えだった。
市長から意見を求められ、アサイ文化連合会の会員で話し合ったところ、むしろ「ブラジルの技術でできるわけがない」「税金の無駄遣いだ」など反対が大多数だった。
当時、連合会会長だった小岸頴郎(こぎしかいろう)さん(75、2世)は「市長は日系の皆が喜ぶと思っていた。反対されたと聞いて驚いていたよ」と笑う。
話し合いは8回に渡って行われたが、意見はまとまらなかった。結局、「町の活性化のため」という市長の思いに同調した小岸さんと数人が築城に賛成し、連合会が協力するに決めた。そのころ、市長が計画を見直して、規模を縮小して費用を当初の半分ほどにした。
資金援助の依頼のために市長と小岸さんはブラジリアの連邦議会に4回も通い、費用の8割を連邦政府、2割をアサイ市が負担することで決まった。名前はアサイ市の戦前の名「旭移住地」からとって「旭城」とした。
2008年2月、政治家やアサイ出身の有力者などを招いて定礎式を行ったが、そのときでさえ連合会内には反対のほうが多かった。同年、ニッケイ新聞の俳句投稿欄にアサイ在住者の句が掲載された。「移住地に 城建つ話 山笑ふ」。春の季語「山笑ふ」に、築城計画に対するする懐疑心が込められている。
市長と小岸さん、建築技術者3人はパラグアイの前原城を視察。日本庭園の造園師に依頼して城の模型を制作した。当初の計画では2年後の2010年中に完成する予定だった。
4階建ての城は、工事中の雨をしのぐために屋根から作る計画だったが、政府による支援の条件は下から1階できるごとに次の階の建築費を払うというもの。仕方なく屋根なしで建築を始めたが、雨のせいで何度もやり直しになり、途中で2つの建設業者が匙を投げた。(つづく、山縣陸人記者)
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旭城の開城時間は平日は午前8時から午後5時、土曜は午前8時から正午、日曜は午後1時から午後5時。夜はライトアップされ、白の城壁が遠目にも美しい。1階ではコーヒーと棉栽培の展示が行われ、2階には2008年にロンドリーナで行われた日本移民100周年記念式典の写真パネルが置かれている。3階にはアサイ市と日本移民の歴史と辿る写真パネルと、米でつくったモザイク画が展示されている。今後は、高知県から寄贈された日本の名城の写真パネルや、「移民の祖」水野龍の展示を予定している。