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110周年では日本の支援への感謝を忘れずに

松浦アントニオ元会長

松浦アントニオ元会長

 「大事なことが抜けていますよ!」――ブラジル・ラジオ体操連盟の元会長、松浦アントニオさん(88、二世)が同連盟40周年の記念特集ページ(本紙6月23日付)を見て、そう指摘してきた。1999年に日本の全国ラジオ体操連盟理事長だった柳川秀麿さんから普及基金として1千万円をもらって基金として運用し、利息を活動資金に充ててきたのだという。
 小野祥子(さちこ)現副会長にも聞いたら「その通り」だという。「そのほか、入戸野(にっとの)藤子さん(武蔵野市ラジオ体操連盟会長)などは6回も自費で教えにきてくれましたが、記事に入っていませんでした」との指摘も。知らなかったことに恥じ入るばかりだ。
 松浦さんは「あの1千万円は柳川さん個人から頂いたものなんですよ。郵政省を通して送金してもらいました。恩人ですよ。あれがなかったら、今頃連盟は潰れていたかもしれません」とも。
 1978年にラジオ体操会第1号がリベルダーデ商工会の体操部として発足し、最盛期の2005年には86支部を数えた。初期に来伯した指導者の一人、宮内あい氏がいとこだった関係で関係しはじめたという松浦さん。1991年から05年までの14年間、会長として盛り上げた。
 ブラジル連盟20周年の年、1998年は日本のラジオ体操70周年でもありその東京大会に招待された。そのとき、松浦会長は柳川理事長と酒杯を酌み交わす機会があり、「ブラジルでの普及活動が盛んにおこなわれていることに感激している」と喜んでいたという。
 その折、柳川理事長から「何が欲しい?」と尋ねてきたので、松浦さんは「僕は二世なので担当直入に言って良いですか。ズバリ、普及活動に使えるお金が欲しい」と言った。それに対して「ああ、それなら簡単だ。わずかだけど」と言って、1千万円を約束してくれたのだという。

ブラジル・ラジオ体操連盟が1千万円の寄付に対して出した領収書

ブラジル・ラジオ体操連盟が1千万円の寄付に対して出した領収書

 太っ腹な人がいたものだ。無事に40周年を迎えられた陰には、そのような祖国からの支援があった。
 その話を聞き、作本登実子さん(作本國登、当時ブラジル國誠流詩吟会会長)から生前に聞いた逸話を思い出した。財団法人船舶振興会の笹川良一会長が1979年9月に行政視察に来伯した際、作本さんは話をする機会があった。國誠流の普及に必要なものがあれば支援するといわれ、作本さんが「練習する場所が欲しい」と要請すると、「分かった」とひと言。
 後日、日本から現在の稽古場、リベルダーデ区カルロス・ゴメス広場67番8階I号室を買う資金を送って来たと語っていた。
 援協に対する大型寄付もそうだと思い起こした。移民70周年の1978年2月、前述の笹川良一会長は援協に1億円を寄付した。
 その後は、消費者金融大手・プロミスの創業者、神内良一さんが文句なしに個人としては最高の日系社会支援者になった。1990年に日伯友好病院に7550万円、サントス厚生ホームに3500万円の援助。それを皮切りに同協会への援助総額はなんと約11億円にも上るという。
 あれがなければ、今の援協はない。日本国内の評判とは関係なく、援協からはキチンとした感謝を捧げ続けるべきだ。
 そして日下野良武さんの仲介により、2013年には大塚商会の大塚実元会長から文協に1億円の寄付もあった。教育分野では、2003年に当時建築中だった大志万学院の新校舎の建築費用として、東京の倫理研究所から2億円が寄付された。
 元々東京に住んでいたが、最近はピニャール在住の資産家・天野鉄人さんは以前から日本語図書館などを建設してきた。
 それに加え、数年前から聖南西文化体育連盟に300万レアル基金創設を提言し、2016年12月に80万レアル(約2817万円)を寄付したことも記憶に新しい。現在はアリアンサ(日伯文化連盟)への融資、平成学園立て直しなども手掛けている。
 それら以前に、各県人会の会館建設にも母県を始め、郷里の企業や有志からの多大な協力があったことは言うまでもない。
 その他にもコラム子が知らない数限りない支援があったからこそ、移民110周年の今日、生き残っている日系団体がこれだけある。そのような日本からの好意の積み重ねのおかげだ。
 そのような支援にはキチンと感謝を忘れず、ことある毎に思い出して顕彰しなければと、襟を正した。(深)