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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(13)

 身辺警護をされる要人待遇にたとえて、気分転換をしてみたが、現実の惨めさには勝てなかった。坂道を下り終ると、すぐ目の前に火力発電所の大きな建物があった。その右側を通った隊列は、発電所の裏へ導かれた。低湿地帯で地面は凍てついていた。
 発電所用の貯水池の土手を嵩上げする作業である。六〇〇人の捕虜たちは、土手を取り巻くように一列に並んだ。手にはそれぞれスコップ、ツルハシ、鉄棒を一つづつ持って働きはじめた。鉄棒かツルハシで地面を掘り、その土をスコップで土手の上に積めという。
 私はツルハシを宛がわれた。ツルハシを地面に振り下ろしたが、カンと音をたてて撥ね返された。数回ツルハシを地面に叩きつけても傷がついただけである。息があがり腕力は萎えて一向に捗らない。休んでは何度かやってみたが、凍てついた地面は、私の努力に応えてくれなかった。そのうちに、ツルハシを振り上げる力がなくなった。
 凡そ二〇日間、食物らしいものを食っていないからだれも衰弱していた。草や木の皮を食って胃袋をなだめただけで、力なんぞ出せるわけがなかった。おまけに思いもしなかったこの寒さは、残った僅かな体力を急速に奪っていったのである。
 やがて全員は道具を杖がわりにして立っていた。
 「ダバイ、ブイストラ」(早くやれ)と、カンボーイ(監視兵)の苛立った声が方々で聞こえてきた。
 近くにいる連中だけが、おざなりに地面をつついてみせる。力をふり絞っても、手も体も動かせないのだ。カンボーイは怠慢とみたらしく、癇癪をおこした。銃で殴りつけ、足蹴にした。近くにいた戦友が数人、倒れた兵をかばい、手にした道具を構えて反抗の姿勢をとった。
 囲まれたカンボーイは、銃口を向けて引鉄に指をかけ、発砲の様子をみせて威嚇した。騒ぎを聞きつけたソ軍の将校が、走り寄ってきてその場は納まった。方々でカンボーイとの小競合いが起きたが、ノルマは零であった。
 夕方、疲労困憊しよろめきながら、丘の中腹のラーゲリ(収容所)へ辿りついた。夕方の拷問点呼を終えて、宿舎に入ったが、待っても待っても、『飯上げ』の声はかからなかった。飢えと酷寒と労働のために、絶望感に押しつぶされそうになった。
 翌朝、拷問点呼がすむと一杯の汁さえないまま作業に行った。夕方帰っても、今日も『飯上げ』の声はなかった。初日の作業は記憶にあるが、二日目から十日目位までの間、どこで、どんな作業をしたのか、私の記憶は消えている。記憶に残っているのは、三日目から数日間朝夕二回、飯盒の蓋に一杯の、実無し塩汁を飲んだことだけである。
 そのほか、作業に行く坂道の途中から視界ゼロの猛吹雪になって作業中止になり、ラーゲリに逆戻りした。そしてもう一つ。坂を下ってゆく途中、カンボーイが歌をうたって行進しろと言った。これほど悲惨な情況下でも、剽軽な奴がいて、
 “モシモシ亀よ亀さんよ ”
 と唄いだした。忽ち二段、三段と後方へ歌声が移った。
 行軍中、士気を高めるための軍歌でない上、あまりにも間が伸びるために、歌の途中でみんな笑ってしまって、歌声は止んだ。カンボーイはキョトンとした顔をしたが、捕虜の笑声で、少しだけ表情をゆるめた。
 笑声は後にも先にも、これが始めての終りであり、三つ目の記憶である。