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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(15)

 次は馬糧トウモロコシが何日続いただろうか。大人の親指の爪ほどにふくれた粒は、どんなに強く噛んでも噛みきれない強靭な外皮に包まれていた。二回だけであったが、外皮も胃袋へ送り込んだ。次の日外皮がそのままの姿で体外に排出されたのを見た。それからは中味だけを食うことにした。
 この三種以外は薄粥だけである。啜ったときだけ飢餓感が押えられるものの、体力の回復は夢のまた夢であった。
その上、移動につぐ移動では、薄粥さえ支給がなかった。
 ジャガイモでは笑えぬ思い出がある。ラーゲリ(強制収容所)に放りこまれて、十数日過ぎた頃だったろうか。
 作業の帰途、道端の雪の上に落ちている、大き目のジャガイモが目についた。二つもあった。すかさず拾って帰り、飯盒に雪を押しこみ、ベーチカで溶かして、イモを入れて待った。
 頃はよしと蓋をとった途端、ドロドロに煮えたった馬糞の、鼻が曲がるほどの凄い悪臭にたまげた。飯盒に染み付いた悪臭に、数日間悩まされたのはいうまでもない。
 いつも目の色を変えて、食物を探しては、なんとか少しでも胃袋に食物をいれたいと必死になっていた。そうしたなかで戦友たちは一人また一人と減って行った。
 候補生の一人は丸太壁によりかかって腰をおろし、膝を両腕でかかえていた。
「おい、どうしたんだ」
 と肩に手をかけた。彼は横倒しに倒れた。死んでいたのだ。眼を開いていたから死んでいるとは思わなかった。足指が凍傷にかかり前途を悲観していたが、こんな形で死ぬとは思わなかった。

  一〇、将校の横暴

 将校宿舎には四人の将校と、二人の見習い士官が入っている。将校は四人共中尉で、第三大隊の中隊長であった。そのうちの一人小之原中尉は、私が所属していた第三機関銃中隊長で、野間見習士官は私たちの教官であった。
 将校宿舎の当番兵から、噂が流れ広まった。将校たちは毎日、囲碁、将棋、マージャンで遊び暮らし三度三度固い飯を食っている。そして死ぬような境遇に耐えて、頑張っている部下のことは少しも考えていない、というのである。
 兵を収容している二棟の宿舎から怨嗟の声があがった。私や数人の戦友は噂を手帳や紙片に書きとめた。私はそのほかに、もし生還したら働きもしない将校の横暴(食料の横領)のために次々に兵が死んだ事実を公表し、告訴してやると激烈な言葉も書きつらねた。
 ある日、珍しく将校たちが兵たちの宿舎に来た。そして下士官に命じて、所持品検査を行い、手帳と紙片だけを取りあげた。数日後、再びやってきた彼らは、「将校はハーグ絛約によって、労働を免除されておる。食糧その他の給与もお前たちよりはるかに優遇されているのだ。みんな心得違いをしてはならない」と、睨みまわした。
 取りあげた手帳や紙片に記されたことへの返答、というより一種の恫喝であった。部下であった兵たちが飢餓線上をさ迷い、必死になって酷寒と労働に耐えている苦しみに知らぬ顔をし、自分らの権利だけを主張した。許せないと思った。