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長崎の世界遺産認定を喜ぶブラジルの信者の声

聖母婦人会のバザーで大河家の皆さん(手前左が久能木さん、その奥が大河さん)

聖母婦人会のバザーで大河家の皆さん(手前左が久能木さん、その奥が大河さん)

 「昨日とっても嬉しいニュースを聞いたの。長崎の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に認定されたって。今までカトリックとして苦しめられてきた歴史が認められて、少し報われた気がするわ」――久能木(くのき)チエコさん(86)は、そう笑顔を浮かべた。
 1日にサンパウロ市のサンゴンサーロ教会であった聖母婦人会のバザーで、名物うどんのコメントを来場者から集めていて偶然そんな声に接した。もしやと思い、出身地を尋ねると、隠れキシリタンの島として有名な「長崎県五島列島」。まさに先祖の苦労が報われたという想いで一杯だろう。
 念のため「ご先祖は隠れキリシタンだったんですか?」と尋ねると「隠れではない」とのこと。コラム子は「また無知を晒してしまった」と恥じ入った。
 調べてみると「隠れキリシタン」というのは、禁教が解かれたあとも江戸時代の間に土俗化した日本独特の信仰を守って、今もカトリックに戻っていない人たちのこと。明治中期に禁教が解けたあと、カトリックへ復帰した人たちは「潜伏キリシタン」というらしい。
 チエコさんは「先祖同様、両親もカトリック。私は生まれて二日目にバチザ(洗礼)されたのよ」というから筋金入りだ。「私が生まれた繁敷(しげしき)はすごい山奥でね。部落丸ごとがカトリック。子供が生まれたらすぐに教会に連れて行ってバチザするの。そんなところだから一族は明治にも何回か迫害を受けた」。
 地図で確認すると、福江港から16キロほど山に入った場所。隣にいた弟の大河正夫さん(67)は「僕が2歳の時にダムを作ることになり先祖伝来の土地を接収され、追い出されました。だから育ったのは福江の町です」という。
 福江は港も空港もある島の中心都市だ。地図を見ると繁敷のすぐ近くには「行者山」「荒神岳」という地名があり、いかにも山奥という感じだ。
 大河さんは「母方の先祖は元々は大村に住んでいて、村ごと五島に移ったそうです」というのでさらに驚いた。長崎県大村と言えばキリスト教と最もゆかりの深い場所だ。日本初の「キリシタン大名」大村純忠が統治した地だからだ。
 純忠は1563年に重臣と共に洗礼を受けた。領主の改宗によって領民たちもキリスト教を信仰するようになり、1582年頃には信者数6万人ともいわれた。つまり日本で最初にキリスト教文化を地域丸ごとで受け入れたところだ。
 フランシスコ・ザビエルが日本に到着したのが1549年だから、純忠が洗礼を受けたのはわずか14年後。しかし、豊臣秀吉は1587年にキリスト教禁教令を出し、26人が長崎で殉教した。これが日本最初の殉教者だった。
 徳川幕府も1614年に禁教令を出し、本格的な弾圧が始まった。大村領内では1657年に「郡崩れ」事件が起きた。信者608人が捕まり、棄教した99人は釈放されたが、拷問同様の取り調べ中に78人が死に、411人が斬首を言いつけられた。翌年に131人が実際に処刑され、見せしめで首が約1カ月間さらされた。
 だが「棄教者」は潜伏キリシタンとして生き延びた。
 そんな大村から江戸時代中期の1796年、五島列島に約3千人が移住した。当時、五島列島では大虫害による危機が起きて人口が激減。列島を治める肥前福江藩の八代藩主五島盛運が大村藩からの移住を奨励し、その結果、密かに信仰を守って来たキリシタンたちの間で「島の方が監視が緩い」との噂が広がり、大量移住につながったという。
 その子孫が大河さんの家族だ。
 繁敷はダムに沈み、福江の町にでたが、新しい土地に学校を建設する話が持ち上がり、再び追い出された。「言い値で土地を売って、1959年1月にブラジルへやって来た」という。そして「繁敷の家は水の下…」と悲しそうにいう。
 思えば、今月22日に創立100周年を祝う上塚植民地(プロミッソン)のゴンザガ区には潜伏キリシタン移民が集住し、日系最初の教会の一つを1938年8月に建設した。その教会の名称は「Igreja do Cristo-Rei dos 26 Martires do Japao」(日本26聖人クリスト・レイ教会)」。
 奇しくも当時開館式を司式したのは、五島列島出身で最初の日本人宣教師、中村ドミンゴス長八神父だ。
 さらにバザー会場となったサンゴンサーロ教会の名前は、日本最初の殉教者「日本26聖人」の一人、ポルトガル人サンゴンサーロ・ガルシアにちなんだもの。同教会のミサで使われるマリア像は、着物を来た日本人形風のマリアさまだ。潜伏キリシタンが持ち込んだものだろう。
 聖母婦人会の料理がうまいのは、歴史という隠し味が利いているからだと、しみじみ感じ入った。(深)