2018年度外務大臣表彰の受賞者が、本日発表された。ブラジル日本移民110周年を迎える今年は、在伯大使館、在聖総領事館、在クリチバ総領事館、在マナウス総領事館、在レシフェ総領事館、在ポルトアレグレ領事事務所から、例年を上回る計37人の個人・団体が選出された。主な受賞者とその功績は以下の通り。
在伯大使館管内からは、伯空軍でパイロット以外の歩兵科で史上初の将官に昇任したアゴスチーニョ・シバタ氏(元伯空軍地上作戦センター長)ら3氏を表彰。
在聖総領事館管内からは、戦時下に接収され今年6月に正式返還された日本人会会館の返還に寄与した大橋健三氏(サントス日本人会会長補佐)ら10の個人・団体が表彰された。大橋氏は、サントス強制立退き者のリストを管理、同市日本人会の歴史を纏めてきた。
また、眞子内親王殿下ご訪問に沸く移民の故郷ノロエステからは、安永ルイス氏(プロミッソン日伯学校ボランティア教師)、熊坂ヨシヲ氏(ノロエステ連合日伯文化協会相談役)、高橋邦雄氏(元アラサツーバ日伯文化協会会長)、楮本エミリア恵美浦部氏(元アラサツーバ日本語普及センター教師)の4氏が選出された。
クリチバ総領事館管内からは、最多の16人が栄誉に。今年5月にブラジルで初めて開城した「旭城」の建設委員メンバーを務めた小岸頴郎氏(アサイ文化連合会顧問)や、ラーモス移住地戦後最後の入植者の山本和憲氏(ラーモス日伯文化協会顧問)も。
また、ブラジル日本移民の心情を綴った曲を南米日系社会で20年以上歌い続けてきた、神奈川県在住の井上祐見氏(演歌歌手)も表彰された。
在マナウス総領事館管内からは、実業家としての成果を惜しみなく当地同胞の福利厚生や日本文化振興のために提供してきた武田興洋氏(SBグループ会長)をはじめ、佐藤兼平陸奥雄氏(前エフィジェニオ・デ・サーレス移住地自治会会長)、橋本博美氏(アサヒ移住地自治会会長)の3氏を表彰。
今年1月から総領事館に昇格された在レシフェ総領事館管内からは、アンジェラ・タミコ・サトウ・タハラ氏(バイア連邦大学看護学部教授)、岩上ラウラ貞氏(セアラ州立大学人文学部言語学教授)ら2氏を表彰。
在ポルト・アレグレ領事事務所館内からは、州内各地に散在し、保険未加入や言語の問題で健康問題を抱える日本人移住者への無償診療などを行ってきた今井勲氏(グラバタイ市ドン・ジョアオ・ベッケル病院総合外科医)のほか、農業分野での功績が評価されて、鈴木貞男氏、宮崎宣征氏が表彰された。
外務大臣表彰の全受賞者公開
【在ブラジル日本国大使館管内受賞者】
アゴスチーニョ・シバタ(元伯空軍地上作戦センター長/連邦区)
シバタ氏は、ブラジル空軍でパイロット以外の歩兵科将校として史上初の将官に昇任。これにより、ブラジルでの日系人の地位向上とイメージ向上に多大な貢献があった。また、大統領警護責任者及び主要な日系軍人として計2回訪日し、両国の友好関係強化に寄与した。更に、日本大使館と伯軍人とのパイプ役となり、日伯防衛交流深化に尽力した。なお、ブラジリア日系人の交流基盤ともなっているブラジリア日伯文化娯楽クラブで副会長等を務め、日系コミュニティの維持・活性化にも貢献している。
スギノ・ヒデオ・エルミニオ(ブラジル中西部日伯協会連合会会長/連邦区)
スギノ氏は、オランダ、米国等に留学後、日系人社会の発展と地位向上をめざし、各種日系団体活動に積極的に貢献。ブラジル中西部日伯協会連合会会長に就任すると、ブラジル中西部に所在する日系5団体の連携の強化に尽力した。それにより、同氏が総指揮をとって毎年同会が主催する日本祭り(ブラジリア首都圏で最大級の日本文化関連の祭典)は約5万人の来場者を誇っている。これらのとおり、同氏はブラジル社会における日本文化の普及、日伯間の友好親善を促進し、日系人の地位向上に寄与している。
フジモト・ロベルト・マモル(元ブラジリア日伯文化娯楽クラブ会長/連邦区)
フジモト氏は、ブラジリア日伯文化娯楽クラブにおいて要職を歴任し、会長職を3期務めた。同氏は、クラブの文化活動やスポーツ、各種行事を通して次世代育成ならびに世代を超えた地域日系人の結束の促進に尽力。また、専門である土木工学の知識を生かし老朽化した施設の再生に貢献。更に、ブラジル伝統風俗の秋祭りに併せ、日本文化紹介イベントを行って非日系ブラジル人に対しても日本文化や日本的価値観を紹介・普及するなど、日系人の地位向上と日伯相互理解に貢献した。
【在サンパウロ日本国総領事館管内受賞者】
馬欠場 卯一郎(柔道指導者/サンパウロ州)
馬欠場氏は、三重県出身でブラジル・バストス市在住の柔道指導者。1972年、柔道選手から指導者に転向し、爾来46年、柔道の普及および柔道を通じた規律と克己の精神の浸透に努めた。同氏が市に働きかけ、市民の協力を得て設置されたバストス道場は中南米随一の規模を誇り、日本の強化合宿をモデルにした寒稽古、暑中稽古にはブラジル国内外から世界選手権や五輪を目指す候補選手らが参加する。同道場からは五輪、ブラジル選手権などのメダリストを輩出し、同国における柔道の普及に大きく貢献している。
大橋 健三(サントス日本人会会長補佐/サンパウロ州)
大橋氏は、ブラジル移住後珈琲業界で就労し、珈琲審査員資格を取得。日本との珈琲貿易において、その的確なアドバイスは大きな支えとなった。また、サントス日本人会会長補佐として長年にわたり歴代会長を補佐し、活動を支援。日本人移住者が最初に到着したサントスにて、日本人移住と日本人会の歴史をまとめ、伝えたことは、戦時中にブラジル政府に接収されていたサントス日本人会館の返還にも寄与することとなった。このように同氏の貢献は大きく、日伯友好関係促進と日系社会活動活性化に寄与している。
サムエル・モレイラ・ダ・シルバ・ジュニオル(前サンパウロ州政府文官長/サンパウロ州)
モレイラ氏は、レジストロ市長、サンパウロ州議会議長、サンパウロ州政府文官長を歴任する中で、常に日系社会に寄り添い日系社会活動の活性化に尽力してきた。レジストロ市長在任時は、レジストロ市灯籠流しや盆踊り、日系団体の会館及び移民史料館建設に大きく貢献した他、州議会議員としてイグアッペ市、レジストロ市、セッテ・パラス市における日本開拓移民入植百周年記念を盛大に祝う等、日系社会活動とサンパウロ州の連携に尽力し続けており、サンパウロ州における日系社会活動の発展に大きく貢献している。
与儀 上原 昭雄(サンパウロ日伯援護協会会長/サンパウロ州)
与儀氏は、ブラジル日本都道府県人会連合会会長として、「日本祭り」の更なる拡充を図り、コスプレや漫画・アニメ等、若者を魅了する企画で若年層の参加者を増加させ、日伯文化交流を促進した。また、ブラジル沖縄県人会会長として南米諸国の沖縄県人会と母県との連携を深め、活動の発展に尽力した。さらに、サンパウロ日伯援護協会会長として指導力を発揮し医療環境を整備、当地日系社会及び駐在員の社会福祉環境の向上に大きく貢献するとともに、ブラジル社会の福祉事業の改善にも尽力している。
安永 ルイス(プロミッソン日伯学校ボランティア教師/サンパウロ州)
安永氏は、プロミッソン日伯文化体育協会会長、ブラジル日本人移住100周年記念プロミッソン祭典委員会委員長を歴任し、「移民の故郷」と呼ばれるプロミッソンにおいて日系団体間の連携強化を進めた。また、同祭典ではプロミッソン市役所と協力し盛大な祝賀式を実施し、日伯交流を更に緊密化させた。さらに、同人は28年間ボランティア教師として日本語教育に尽力し、ノロエステ日語普及会林間学校等の各種行事の企画運営により、同地域の日本語普及に大きく貢献した。
熊坂 ヨシヲ 氏(ノロエステ連合日伯文化協会相談役/サンパウロ州)
熊坂氏は、2004年からブラジル・カフェランジア文化協会会長。同会に日本人会館及び体育館を建設した。その後、同氏は体育館を日系社会内だけでなく市民の誰もが利用できるよう開放し、カフェランジア市から定期的にスポーツ指導者を招いて活動するなど、日伯スポーツ交流に貢献している。また、同氏は移民資料館を設置し、カフェランジアにおいて日本人移住者が独立した営業農家へと飛躍していく歩みを写真を通して伝え、同地域での日系社会のプレゼンス向上と日伯相互理解を促進している。
高橋 邦雄(元アラサツーバ日伯文化協会会長/サンパウロ州)
高橋氏は、60年以上にわたりブラジル・サンパウロ州アラサツーバ市の日系社会活動を精力的に率い、日系社会の活性化を進めてきた。特に、アラサツーバ日伯文化協会会長として、第1回アラサツーバニッポンフェストを企画し、和太鼓等の日本文化を普及した他、アラサツーバ市文化委員として日伯文化交流に尽力した。また、薬物中毒患者支援施設や貧困家庭の子供の教育支援を行う等、同地における日系社会及びブラジル社会の福祉向上にも貢献している。
山村 敏明(聖南西文化体育連盟会長/サンパウロ州)
山村氏は、ブラジル・サンパウロ州リベイラ沿岸日系団体連合会会長及び聖南西文化体育連盟会長として、加盟団体の行事の実施を調整し、団体間が相互に協力できる体制を構築した。また、各団体の問題や課題を把握し地域全体で解決する体制を整えるなど、地方日系団体の活動維持と活性化に貢献した。更に、同氏はレジストロ日伯文化協会会長として、レジストロ市及び岐阜県中津川市と協力して移民資料館及び文協会館を設置した他、灯籠流し等各種文化行事を通じて日伯文化交流に大きく貢献している。
楮本 エミリア 恵美 浦部(元アラサツーバ日本語普及センター教師/サンパウロ州)
楮本氏は、ブラジル・サンパウロ州各地にて、日本語教師として約40年間日本語の普及に尽力してきた。同人の進めた日本語教育は、当地日系社会の日本語教育が継承日本語からブラジルで活躍するための外国語としての日本語教育に移りゆく中で、ブラジル社会及びブラジル日系社会の変化に即し、音楽を通じて日本の文化や習慣も教える心の通う教育として定評が高い。同人は、日本語教育を通じて言葉だけではなく日本文化や日本の精神を同地ブラジル社会に広く浸透させ、日伯文化交流に大きく貢献した。
ブラジル日本商工会議所(サンパウロ州)
同団体は、1940年、日伯貿易の拡大に伴い設立され、今日に至るまで進出する日本企業の事業活動を後押ししている。ウジミナス製鉄所をはじめ、セニブラ、アマゾンアルミ等、ブラジルへの多大な貢献となった日伯合同プロジェクトやブラジルの日本デジタルテレビ方式採用、両国間の社会保障二重払い防止協定締結の一翼を担った。また、近年は、日伯経済合同委員会等にて、伯ビジネス環境における障壁を取り除くべく伯政府に対し提言を行うなど、日伯経済関係及び友好親善の促進に貢献している。
【在クリチバ日本国総領事館管内受賞者】
新里 エリジオ 善和(サンタ・カタリーナ日系協会連盟会長/サンタ・カタリーナ州)
シンザト氏は、サンタ・カタリナ州フロリアノポリス市のニポ・カタリネンセ協会やサンタ・カタリーナ日系協会連盟にて長年貢献。ニポ・カタリネンセ協会では、2002年から2010年の間会長を務め、同州における日本文化紹介事業の先駆け的な役割を果たした。また、2014年からはサンタ・カタリナ州における日系団体をとりまとめるサンタ・カタリーナ日系協会連盟の会長として、近年同地で大々的に開催される「七夕祭り」を積極的に支援し、日本文化の普及や向上に尽力している。
吉井 喜美子(ロンドリーナ・グアルダミリン母子保健協会会長/パラナ州ロンドリーナ市)
ヨシイ氏は、ロンドリーナ・グアルダミリン母子保健協会の副会長及び会長を長年勤め、ロンドリーナ市内における子どもや女性、また障害児教育施設への長年に亘る慈善活動を通じ、ロンドリーナ市近郊の社会発展に積極的に貢献。これらの活動により2002年にはロンドリーナ市議会より名誉市民章を受章した。もって現地日系人の名声を高め、日系社会の社会的地位向上に貢献しており、我が国とブラジルとの相互理解及び友好親善を促進している。
井上 祐見(演歌歌手/神奈川県横浜市)
井上氏は、演歌歌手として、日本人移民の心情をつづった曲をブラジルを中心に南米の日系社会で歌い、それら諸外国との相互理解及び友好関係の増進に貢献。右功績により、総理主催の「桜を見る会」に例年招待されている。また、2017年の日伯外交関係樹立120周年記念行事では、核兵器廃絶を願う聖火「ナガサキの誓いの火」を分灯者としてブラジル各地の平和の鐘公園へ届けるとともにチャリティーコンサートを行うなど、日伯のかけはしとしての平和を訴える活動も行っている。
駒込 伝三(加古川・マリンガ外国語センター校長/パラナ州)
コマゴメ氏は、ブラジル国パラナ州において日本人・日系人の福祉に貢献することを自らに課し、マリンガ文化体育協会副会長(18年)、マリンガ文協教育部長(5年)など、多くの日本人会の役職を歴任。長期にわたり会の活動を支え、発展に大きく貢献している。また、加古川・マリンガ外国語センター校長(16年)や、マリンガ地区日本語学校連合会会長(16年)を勤め、同地区の日本語教育向上と普及に大きく貢献している。
根本 一美 氏(パラナ老人福祉和順会評議員/パラナ州)
ネモト氏は、フォス・ド・イグアス在住の日系人福祉のため、1987年に同地区文化福祉協会を創設。初代会長として会の運営に務め、運営が安定した後は会長を退任して文化部長を自ら引き受け、各種の日本文化行事を実施し、地域における日本文化の発信に尽力している。また、常に積極的に若年層と関わり、後継者の育成に取り組んでいる。また、パラナ老人福祉和順会の評議員として、1978年から現在まで39年間に亘り携わり、会の健全な運営支援を行い、日系社会の福祉厚生の向上に尽力している。
山本 和憲 氏(ラーモス日伯文化協会顧問/サンタ・カタリーナ州)
山本氏は、ブラジル国ラーモス入植地への戦後最後の入植者。同郷の長崎県出身の農業移民と協力し、日本式経営による農家の連携構築、日本の果樹栽培のノウハウを導入して高品質の果実生産に成功し日本人の名声を高めた。また、30代後半にしてラーモス日伯文化会長に就任し、日本語教育の維持向上及び和食普及事業に関わった。なお、同氏はラーモス移住地において日本文化紹介の拠点となっている八角堂の建設発案者でもある。現在は顧問として、会の運営に積極的に助言し、後継者の育成に努めている。
小岸 頴郎(アサイ文化連合会顧問/パラナ州)
コギシ氏は、アサイ文化連合会会長、パラナ日伯文化連合会副会長として、アサイ周辺地域の日系団体活動の活性化と住民の文化生活の向上に長年に亘り尽力し、パラナ州日系社会の様々な活動に積極的に協力した。2006年には、右功績が認められ、アサイ市議会からアサイ名誉市民賞を受賞した。現在は、日本移住100周年記念事業の1つである、日本の城を模したアサイ城建設のための建設委員会メンバーとして2006年から活躍している(同城は本年5月にオープン)。
上口 寛(パラナ日伯文化連合会会長/パラナ州)
上口氏は、鹿児島県より入植した両親と共に移住したマウアにおいて農業を指導し、同地の経済発展を支え日系人の地位を高めたほか、同市文化体育協会において40年以上に亘り日本語教育及び日本文化の継承普及に尽力した。現在は、パラナ日伯文化連合会会長としてパラナ州内の日本文化の継承、及び普及に尽力しており、今年はパラナ州日本移民110年記念行事の取りまとめを行って、州内の日系社会の連携と日本・ブラジルとの友好に尽力している。
上野 政代(元日本語教師/パラナ州)
上野氏は、1943年ごろからパラナ州カンバラ市の自宅で日本語の塾を開校。当初は、自分の兄弟や近所の子供たち、およそ16人に日本語を教えることから始まった。1949年からしばらくは閉校したが、1976年にパラナ州マリンガ市に移住してから日系人への日本語教育の重要さを憂い、自宅にて私塾を開校。その後、2000年までの24年間は自宅にて、2000年7月からは加古川マリンガ外国語センターにて上級者生徒を対称として日本語を教え、日本語普及に尽力した。
大崎 ローザ 日出美(クリチバ日伯文化援護協会教育担当役員/パラナ州)
大崎氏は、30年以上に亘りパラナ州にて政府教育長官補佐、同教育委員会補佐などを務め、広くパラナ州民の教育の向上に貢献してきた。また、生け花、茶道、書道、日本画、俳諧への造詣が深いことから、クリチバ日伯文化援護協会の広報分野及び教育役員職を歴任し、数多くのクリチバ市内の文化イベントを成功に導いた。同氏は自ら着物で足を運ぶだけでなく、若い世代への着付けを積極的に行い、立ち振る舞いの指導を含め後継者育成にも熱心に取り組んでおり、日本文化の普及および日系人の地位向上に貢献している。
丹 俊彦(パラナ日伯元留学生協会副会長ロンドリーナ市支部長/パラナ州)
丹氏は、ロンドリーナ文化体育協会の創立に携わると共に、同会長8年、同評議員長2年の役職を務め、特に青少年の育成、野球を通じた教育の普及に努め、また、新年拝賀式や運動会・芸能祭、農産品評会などの年間行事を継続して運営して日本文化の継承・紹介に努めると共に、2008年~2010年にパラナ日伯文化連合会副会長として、ブラジル日本移民100周年記念祭典挙行にあたって実行委員長を補佐し、日伯関係の緊密化に貢献した。
中桐 廣文(日伯文化科学研究所会頭/パラナ州)
中桐氏は、両親に従い幼少期にドミニカに移住。その後、日本へ戻り家族とともにブラジルに再移住し、幼少期より大変苦労をしたが、それらの苦労を克服して自ら農機具販売会社を立ち上げて成功し、経営を通じた地域社会の発展に寄与し、日系人の地位向上に貢献した。その後、パラナ日伯商工会議所副会頭、日伯文化科学研究所会頭として、日伯交流の架け橋となり両国の経済発展と友好親善の向上に貢献してきた。これまで連邦下院、パラナ州議会から表彰されているほか、昨年はクリチバ名誉市民章を受賞している。
潮崎 アフォンソ 明芳(マリンガ文化体育協会会長/パラナ州)
潮崎氏は、マリンガ文化体育協会会長として、パラナ州内最大10万人の集客がある日伯文化祭などの文化行事実施による日本の伝統文化紹介のほか、野球を始めとするスポーツの推奨や、2千名を集客する運動会の実施を通じて、日本とブラジルの相互理解及び友好親善の促進に貢献した。また、マリンガ市内における慈善活動にもボランティアとして夫妻で幅広く熱心に取り組んでおり、このような活動を通じて日系人の名声を高め、マリンガ名誉功労賞やパラナ名誉市民賞を受賞している。
潮崎 エリザ 美智恵(聖フランシスコザビエル(シャヴィエル)校校長 /パラナ州)
潮崎氏は、小学校教諭として13年間、校長として16年間に亘りマリンガ市の教育分野において尽力。特に日系人子弟の教育レベルの向上や、日本からの出稼ぎ帰国者子弟の教育支援を行い、日伯の相互理解及び友好関係増進に貢献した。2016年には教育分野における功績を称えられ、マリンガ市で最も活躍する女性実業家としてマリンガ商業実業協力及びマリンガ女性商業実業協会から表彰されている。
堀内 和子(折り紙講師/パラナ州)
堀内氏は、1967年にロンドリーナ市において日本語教室を開設。以来、校長あるいは日本語教師として、ブラジル社会に即した日本語教育に50年以上に亘り尽力した。また、折り紙講習会を30年以上にわたり実施しており、その絵描き歌や折り紙を実践的に取り入れた講習会は市民に対してのみならず、パラナ州都クリチバ市の大学、職業訓練校、パラナ州文化局、州立図書館、クリチバ市教育局関係者のほか、州立及び市立小中学校教師に対しても講習会を開催しており、折り紙を通じた日本文化の普及に貢献している。
鈴木 守弘 氏(クリチバ日伯文化援護協会評議員/パラナ州)
鈴木氏は、クリチバ日系クラブ(現クリチバ日伯文化援護協会)の設立に尽力。初代会長を務め、日本文化及びスポーツの普及・推進に貢献したほか、クリチバ学生連盟における学生運動では社会活動を行うと共に、州内外各地地方都市より集まった日系人学生の連携の構築・向上に尽力した。また、パラナ州都クリチバ市において、旧クリチバ学生連盟建物(現セントロアジア、日本語等の学習教育施設)などの増築及び新築計画の立案に建築士としての知見を活かして協力し、日系社会の発展に貢献した。
【在マナウス日本国総領事館管内受賞者】
佐藤 兼平 陸奥雄(前エフィジェニオ・デ・サーレス移住地自治会会長/アマゾナス州)
カネヒラ・サトウ氏は、2012年から6年間エフィジェニオ・サーレス移住地自治会会長を務め、同会主催の各種行事を取り仕切り、特にスポーツの分野では、野球・ソフトボールを通して若年層の育成に力を入れている他、スポーツを通した地域住民との交流や他地域との交流を活発に行っている。また、エフィジェニオ・デ・サーレス農業協同組合組合長として、長年の同組合の懸念事項であった係争案件の和解を2017年に成立させる等、組合長として重責を果たし日伯相互理解促進に貢献があった。
橋本 博美(アサヒ移住地自治会会長/アマゾナス州)
橋本氏は、2002年度からアサヒ移住地自治会長職を計5期10年間務め、その間様々な自治会行事を率先して開催し、同自治会のまとめ役として活躍してきた。特に「慰霊祭・盆踊り」は会員のみに閉じず、地元社会の多くの住民が参加する年中行事として交流と相互理解に寄与している。また、同移住地の長年の夢であった、マナウス市とイランドゥーバ市を繋ぐ架橋に関して、地域住民代表としてアマゾナス州議会に陳情を上げ続け、2011年に開設にこぎ着けるなど、地域の生活環境改善に貢献した。
武田 興洋(SBグループ会長/アマゾナス州)
武田氏は、ブラジルの実業家として、その成果を惜しみなく当地同胞の福利厚生及び日本文化振興のために提供。商工会議所幹部、カウントリークラブ評議会委員長として、長年に亘り日本企業駐在員・家族等の生活を物心両面で支援し、日伯経済交流の推進に貢献してきた。また、西部アマゾン日伯協会の要職を歴任し、その職を離れた現在も、当地主要日系団体が催す多数のイベントには毎回欠かさず寄附を行い、当地の日本文化の諸活動を屋台骨で支え、文化振興にも貢献している。
【在レシフェ日本国総領事館管内受賞者】
アンジェラ・タミコ・サトウ・タハラ(バイア連邦大学看護学部教授/バイア州)
タハラ氏は、ブラジル・サルバドール日伯文化協会の教育部長であり、同協会に日本語学校を設立した他、JICAと協力してサルバドール市バイア日伯文化協会連合会に日本語モデル校を設置することに貢献。また、バイア日伯文化協会連合会の教育部長でもあり、日本語教育の発展促進、日伯文化交流に関するプロジェクトをバイア連邦大学等と共同にて実施。さらに、関係者の協力を得つつ定期的に東北伯の日本語教師向けゼミ実施の他、青年講習会、日本祭り等の企画、実行等に携わっている。
岩上 ラウラ 貞(セアラ州立大学人文学部言語学教授/セアラ州)
岩上氏は、ブラジル・セアラ州立大学の言語学教授であり、1993年に開設された同大学の言語学センター内への日本語公開講座の創設に大きく貢献した。以来、25年に渡り日本語の普及及び日本文化の紹介に寄与している。州立大学が設けた日本語講座としてセアラ州内での評価が高いだけではなく、東北伯各地域の日本語講座からもその教育法が賞賛されている。同氏の生徒には日本へ留学する者も多く、日本文化発信及び両国の架け橋となる若者達を数多く育ててきている。
【在ポルトアレグレ領事事務所管内受賞者】
今井 勲(グラバタイ市ドン・ジョアオ・ベッケル病院総合外科医/リオ・グランデ・ドスール州)
今井氏は、1966年にブラジル医師免許を取得。リオ・グランデ・ドスール州への日本人集団移住開始から10年を経て、州内各地に散在する日系人は、その多くが保険未加入や言葉の問題で健康問題を抱えており、南日伯援護協会を通じた同氏の無償巡回診療を頼りにしていた。同氏は、1970年に移ったグラバタイ市で修道院修道者へ無償診療を行う傍ら、来診する日本人移住者への無償診療、深夜の急患への無償往診なども行い、長年にわたって当地日系社会の発展を健康面から支え続けている。
鈴木 貞男(農業/リオ・グランデ・ドスール州)
鈴木氏は、1956年、ブラジルのリオ・グランデ・ドスール州集団移住に参加。移住者の多くが契約農として散在する中、海外移住事業団のイボチ造成地開拓に伴い入植。特に果樹栽培を成功させ移住地を繁栄に導いた。また、伯最南端2州所轄の南日伯援護協会では2004年から4期計8年間会長を務め、その間、散在する移住地間相互扶助に意を用い、毎年の巡回診療に同行。移住地の問題把握に努め、困窮老人等には総領事館員と共に援護活動を行う等、伯社会との相互理解や移住事業の発展に大きな役割を果たした。
宮崎 宣征(農業/リオ・グランデ・ドスール州)
宮崎氏は、1956年、ブラジルのリオ・グランデ・ドスール州集団移住に参加。農村部へ職を求めたが、1966年の大水害を受け転住。海外移住事業団の農地分譲により自作農としてグラバタイ市近郊で野菜耕作に従事すると、それを見て農村部離農者が近隣に転居してくることもあった。現在、グラバタイ日本人会会長を1999年から断続的に計12年間務めている。同会では、新年会、家族運動会、先没者法要等、日系社会を纏め上げており、伯社会との相互理解や移住事業の発展に大きな役割を果たした。