いよいよ本日18日、眞子さまがリオにご到着される。今週末には三笠宮同妃両殿下以来、60年振りとなるノロエステご訪問が予定されており、23日午前中には皇室としては初めてカフェランジア市の平野植民地にも足を運ばれる。それを受け、眞子さまを歓迎するため村総出で準備が進められている。7日、一足先に現地を取材し、村民に眞子さまご訪問への期待の声を聞いた。
「先祖が残したこの植民地をご訪問頂けることは、大変な誇り。村民一同諸手を挙げて歓迎したい」――平野農村文化体育協会の山下薫ファビオ会長(49、三世)は感無量といった表情で歓迎の意を表した。
通訳5人男の一人として渡伯した平野運平の呼びかけで、最初の自作農集団地として創設された平野植民地。入植わずか半年で80人以上ものマラリア犠牲者が荼毘に附すという、移民史上最も悲惨な一項を記すこととなった地だ。
血と涙の滲む献身的な開拓事業の末、最盛期には400世帯を越え、一時はノロエステ線開拓の橋頭堡となった。今ではわずか9世帯ほどだが、団結して村を守り、眞子さまをお迎えすべく、会館内改装や、記念碑建立など準備を進めている。
運平とともに初期に入植した父を持つ、川上幸子さん(二世、86)は「父は昼夜を問わず働いた。マラリアに3度も襲われ、震えが余りにも酷くミシンに手を乗せてもガタガタと震えていた姿は、それは恐ろしいものだった」と忌まわしい記憶を辿った。
「戦時中は日語も禁止され、ともかく恐ろしかった。辛いことも沢山あったけれど、皆一緒だったので苦労とは思わなかったわ」と振返りつつ、「まさか皇族の方にここまで来て頂けるなんて。夢にも思わなかったわ」ととびきりの笑顔を浮かべた。
村で最高齢の鈴木和字さん(宮城県、88)と姪・重松美喜枝さん(70、二世)も、「こんな田舎にまで来て頂けるなんて…、皆とても楽しみにしていますよ」と喜びの余り言葉をつまらせていた。
同地西本願寺の護持会会長を務める森部澄美子(79、二世)さんは「子や孫が暮らせるよう、先人は夜は月明かりの中で汗を拭って働いてこられた。その先祖への感謝を忘れてはいけないと子や孫に言い聞かせてきたんですよ」と植民地への思いを語る。
「ご訪問頂けるなんてもったいないこと。当日が待ち遠しくて夜も眠れません」と半ば興奮ぎみ。森部さんの孫は、眞子さまが献花される花束をお渡しすることになっているという。
眞子さまは同植民地の会館ほか、初期入植者が米作のために住居を構え、マラリアで次々と斃れていった第一ブロックにある開拓犠牲者之碑に祈りを捧げられる。今年3月には、雨風が凌げるようその脇に屋根を設置され、慰霊碑までの道程も整備するという。
コーヒー栽培で発展した当時の面影はなく、今は見渡す限り砂糖黍畑が広がっている。
「畑を駆け抜ける風の中に、志半ばで斃れていった先駆者の悲しみの声が混じって聞こえる気がする」と森部さんは言う。「そんなときは涙を流さずにいられない。眞子さまが先駆者の御霊に祈ってくだされば、どれだけ報われることか」と目を潤ませた。